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【人体の不完全さを補う“環境”の創出】


テキスト部分は、5日月曜日の堀部安嗣講演の主要テーマから。
あまりにも平明に語られている主題なのですが、
ここのところ、いわゆる「環境住宅」を巡ってのさまざまな「対話」の
協同者でもある堀部安嗣さんの発言として明瞭だった。
また上写真は、大阪千里の民族学博物館での遊牧民族の住まい内観。

人間はこの地球上で歴史文化を揺りかごに生存発展し続けてきた。
およそ現生人類8万年のなかでは、
いわゆる「定住」住宅というものはおよそ2万年程度とされる。
それ以前は、狩猟採集段階でのキャンプ生活が基本。
さまざまな生存戦略を試してきた結果、農耕という手段を発見して
「定住」することが可能になったというのが歴史が教える真実。
それは同時に人口ビッグバンをも実現してきた。
この遊牧民族の住まいはその「繋ぎ」のような結節点を教えてくれる。
たぶん、狩猟採集経済から農耕に向かった多数派と
このような遊牧に向かった少数派とに分岐したと思われます。
こうした遊牧生活にではなにがもっとも「人間環境」要素として不可欠か、
そんなふうにこうした住宅を考えることができる。
そうすればかれらの暮らしようと、必要不可欠な環境要素が自ずと見える。
それが人間が生み出した住宅というモノの本質的要素。
いわばデコレーションをゴテゴテに追究するのではなく、
本然的な人間環境要素をシンプルに考える機縁。
かれら遊牧生活民たちは、ユーラシア大陸を東西南北に移動する。
その生活スタイルからウマを普通に使役する習慣を獲得し、
そのことが人間が生み出した権力争奪としての戦争に
大きく役立って一時期、世界をほとんど支配するような帝国も作った。
かれらの住宅はいろいろな地域での人間本然が求める
「環境」のありようを明確にしているのではないか、
堀部安嗣さんの発言から、わたしにはこんなイメージが生起した次第。

ちょうど日本建築学会「地球の声」の動きとも、この発言は
ひとつながりのように感じられる部分だったのです。
「環境住宅」というコトバが、ひとつのデザインエレメントとして
扱ってしまわれる危険姓から、
この堀部安嗣発言は、ひとつの脱出軸を示しているのではないか。
どうもカギはシンプルさにあるような気がします。
さまざまな地球上の「環境」に対して
シンプルな「応答方法」がそれに対置されて論議されるべきだと。
それがどんな「デザイン」を最適解として導き出すのかは
可能な限りシンプルに応答することだと思われる。
まぁわれわれは現代的な経済生活環境にあるので、
「遊動」を基本とする遊牧民族とは自ずとデザインは変わるとしても、
基本因子は見出しうるのではないでしょうか?

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