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隈研吾「メーム」見学記

さて、きのうの続きであります。
世界的な建築家・隈研吾さん設計の建物を見学いたしました。
よく思うのですが、建築という世界は非常に幅が広い。
人間の生涯活動時間のうちで、建築の中で過ごしている時間の方が
野外にいる時間よりもずっと永い時間なのだ、ということで、
先日ある大学の先生の講演を聴いたときには、確か85%くらいの時間が
相当する、というように言われておりました。
自分の例で考えても納得できる話で、わたしなどは、
たまにゴルフをする時を別にすれば、
いや、そのゴルフの日にしても、野外にいる時間はおおむね6時間程度。
クルマの中など、人間が構築した環境という意味で広く捉えれば、
それ以外の時間は、建築の中にいる。
おおむね18時間。ゴルフをやっても2/3は建築の中にいるのが現実ですね。
そのように大きな人間活動の領域であって、
それこそ研究するテーマは無限に存在している。
いま、北海道のような寒冷地では、ようやくこの地域に適した
住宅の環境性能という本質論が、さまざまな叡智が結集されて知見が集積しつつある。
別にドイツや北欧の専売特許ではなく、在来工法という
現代日本独特の普遍的建築工法の高断熱高気密化というものが進展しつつあり、
おおむねその分野に関連しながら、みんなが考えているのですね。
一方で、東京を中心にした建築の世界では
ちょっと違う興味分野が厳然として存在していて、
それはそれで「建築論」というものが熱く展開している(のかどうなのでしょうか)。
隈研吾さんという方は、この建物を見るまでは
あんまり興味を持っていませんでしたが、
にわかで、いろいろ勉強しております。
「負ける建築」とか、よくわからない言葉が語られているようです。
どうも、地域性であるとか、その場所の歴史的経緯などに
深く配慮を致す、というような建築への態度を機軸に据えられているように思われます。
で、本当は本日、旭川で隈研吾さんの講演会があるそうなのですが、
完全に予定がバッティングしておりまして、わたしは聞きに行けないのです。
これから富良野で倉本聰さんの「明日、悲別で」の初日公演を見に行くのです。
むむむ、残念至極。

でもま、建築は結局、そこに建てられたものがすべてを語るしかないわけで、
わたしどもとしては、そこで感じたことを語るしかない。

この「メーム」は
氏の意図としては、アイヌチセが根源的なテーマとしてあったのでしょう。
さすが東大の先生なので、熱環境的にも同じ東大の先生が関与されて
面白い断熱・建築・設備の各手法が展開されております。
それらと、建築意匠的な部分が複雑に絡み合って
この建物が出来上がっています。
アイヌチセはなんども見学し、あるいは取材もしているので、
そういうテーマ性との兼ね合いから、感じられるモノがありました。
素材や材料は、別にアイヌチセと関連するモノは皆無に等しい。
建築工法としては2重の「膜構造」なのですが、
まぁ要するにテントに近いのでしょうね。
なので、アイヌチセというよりも、パオとかの北方民族的な建築スタイルにより近い。
使っている素材は、ほぼ全部、近代工業社会の生産産物。
土間コンクリート、基礎コンクリートから集成材とおぼしき掘っ立ての柱、
膜構造の骨に相当する2×12くらいの板材、
外皮側の防風性のありそうなテント素材と、内側皮膜の編み上げられたような質感の素材。
そうした基本構造素地のなかにポリエステル断熱材が、内側に防湿層を形成させながら
充填されている(厚さ10cmということ)。
この断熱層を挟んで、内皮の膜構造との間は室内空気が行き来する。
この内皮の素材も本当は自然素材でもいいのでしょうが、
あえて、工業的生産物による織物状素材が使用されている。
外皮側は、より無機的な工業生産品であることが明らかな素材が使用されている。
で、断熱層の外側には通気層といっていいかどうか、
詳しい資料に接していないので、そこは不明ですが、空気層が存在しています。

そしてインテリア空間。
これは平屋で、天井までの高さを持った一体空間。
用途に合わせて3つのゾーンに仕切られています。
真ん中が主要居室。一定の収納空間があって、その奥に寝室ゾーンがあります。
また、反対側にはお風呂や洗面トイレといった、
現代的生活の健康・清潔維持のための必需装置スペースが配置されています。
写真は、主要居室のもの。
床には畳の表装のい草の織物がカーペットのように敷き込まれていまして
なかなかに視覚的にも、足裏的にも気持ちがいい。
家具、というか、装置的には絶妙な配置位置に「いろり」があります。
囲炉裏上部には排煙が装置されていて、換気も十分に考えられています。
(同行の北海道の住宅建築専門家一様の意見)
あとは、壁天井ともテント構造の骨と中空部分に充填された白い断熱層越しに
外光がやわらかい光を室内に満たしている。
したがって室内デザインは、この「いろり」がすべての決定的要素であります。
で、配置の位置ですが、中央からやや玄関口側に寄せられている。
熱的にはまことに合理的な配置ですね。
写真は、人物が入っている写真ばかりですが、
実はみんな出てもらっての若干の時間で撮影をしてみました。
で、面白いように構図が決まりやすい。
いろりの位置が、どのようにアングルしても、見どころに叶っている。
で、極限的にシンプルなんだけど、アングルが次々に見えてきて興味が尽きない。
もうこれで、写真は取りようがないよな、というふうにはならない。
ふむふむ、奥が深そうだ。やばい、嵌まりそうだ(笑)。

暖房は基本的にはヒートポンプによる温水暖房で床コンクリートにパイピングしてあり、
残余が一部の窓下に輻射熱装置から熱供給されている。
そのほかに冬場には太陽光がテント素材を通して室内に入ってきて
床の土間コンクリートに蓄熱する効果が期待できそう。
説明書きでは、そのほかに土間下の「地熱利用」が意図されているのですが、
非居住建築なので、利用上のデータがどうであるのか、
そのあたりはまだデータがないそうです。
利用実態的には非利用期間には暖房を極小運転させて冬場でプラス1度程度の室温を維持。
(外気温は零下25度くらいまでは下がる)
利用時には、太陽が顔を見せている日中には15度程度は維持されているとか。
まぁ実験住宅なので、そのあたりは最初から完全な居住用スペックとは違いがある。
・・・ふむふむふむふむ、面白い! であります。

この建物については
たぶん、同行したみなさん、武部さんをはじめ全員がブログに書くと思われます。
武部さんブログ http://bunblo09.exblog.jp

わたしもまだまだ書きたいことがあるのですが、
一応、説明用の写真は収め、場合によってはいつか発表できるだけの
プレゼン資料としては作成してみました。
そういうことなので、このブログで発表できる写真はあんまりありません。
同行したのは写真の4人なのですが、(写真の左から2人目がわたし)
みなさんのブログをチェックして意見を確認してから
また、書きたくなったら触れます。 ではでは。

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2 Responses to “隈研吾「メーム」見学記”

  1. […] わたしのこのブログの、2012年6月15日と16日版で詳報しています。 http://kochihen.replan.ne.jp/blog2/?p=6910 http://kochihen.replan.ne.jp/blog2/?p=6900 […]

  2. […] さて四国シリーズ、今回から建築家・隈研吾建築との出会い編であります。今回の四国旅では淡路での安藤忠雄建築、そして高知での竹林寺の堀部安嗣氏の建築を巡って、四国の山岳地域の梼原(ゆすはら)での多数の隈研吾建築群というように探訪したのです。 なかでも隈さんの建築が6つも集中的に建築されていて梼原のアイデンティティにまで昇華しているという。その様子を取材したいという動機にかられてもいた。 隈研吾建築については、これまでもいろいろ遭遇し記事にも取り上げてきています。わたしとしては北海道の十勝に建てられた「メーム」がいちばん印象に残っております。このブログの2012年6月15日と16日版で詳報しています。http://kochihen.replan.ne.jp/blog2/?p=6910 http://kochihen.replan.ne.jp/blog2/?p=6900 。ぜひごらんください。 アイヌチセにインスピレーションを受けて、化学的な建築外皮によってアイヌ語で湧水池を意味する「メム」と対比させながら風景としての建築を作っていた。 一方で、隈研吾といえば木を生命感に満ちた表情でデザインする手法が特徴的。そういう建築家としての原点として、この四国高知の山岳地・檮原の公民館舞台建築「ゆすはら座」とのかかわりを自ら語っている。以下、四国電力広報誌『ライト&ライフ』から要旨抜粋。氏はこの建物の保存運動に取り組んでいた地元建築家から強く誘われたという。 〜初めて梼原町を訪ねたとき、長いトンネルを抜けるとパッと別世界が現れたという不思議な感覚を抱きました。当時の私は「今後、自分はどんな建物を造ったらよいのか」と悩んでいました。それを払拭してくれたのが「ゆすはら座」。地域の人たちの建物への愛情と木造建築の素晴らしさを肌で感じ、自分がやるべきことの答えを見つけることができました。そして、足しげく梼原町へと通ううちに、当時の町長さんが「公衆トイレを設計してみますか」と声をかけてくれました。施主や職人さんと話し合いながら進めたその仕事が実に楽しくて、それが「雲の上のホテル」に結びついたのです。この町は私を初心に還らせてくれた場所であり、仕事で迷いが生じたときにはここで感じたこと、得た知恵を判断基準にしてきました。後に私は梼原町を「物差しのような場所」と呼ぶようになったのはそんな経緯があるからです。〜 上の写真3枚は、その「ゆすはら座」の様子。そういった経緯から少し集中的に「まちと建築家」との関わりとしてブログシリーズで掘り下げてみたいと思います。 […]