本文へジャンプ

【古代エジプトの富を支えた木造船製造・航海技術】




たまにテレビをゆっくりと見る「勤労感謝の日」であります(笑)。
とはいっても、本日出張の準備で書類作成をなんとか片付けながら。
一段落して夕方5時過ぎくらいから、なにげにつけたNHK-BS放送。
わが家は大体、103チャンネルを視聴することが多い。
高齢化してきて、このチャンネルの番組作りがいちばんハダに合う。
チャリンコで全国各県を回る火野正平の「こころ旅」など、
「人生下り坂がサイコー」みたいな番組作りに共感を覚える次第(笑)。
で、きのうのこの時間には歴史研究的なテーマで海外歴史・古代エジプト篇。
貿易立国を志向したはじめての女性ファラオのストーリーだった。
女王ハトシェプスト(在位:正妃~女王:前1490頃~前1457頃)。
ということなので、今から3,500年前くらいの歴史探検ストーリーです。
彼女の夫は早世したので、まだ4才の遺児を即位させながらも、
実質は彼女が執政し、やがて女性としてはじめてファラオになったという。
それまでのファラオたちが、海外利権を確保するために戦争政策をとったのに対して
彼女は貿易による富の交換・交易を思い立った。
まずはこの「価値転換」の発想が感動的。
エジプトの南側の現在のスーダンとの交易を望むが、
その時代、外洋船を作り、安定的な航海をするということのためには
さまざまな技術開発が必要であり、一国を傾けるような大冒険だった。
いまでいえば、宇宙開発を行うように困難があったのでしょう。
本当に戦後のアメリカNASAの宇宙開発との相似性を感じる。
この女王の発意に基づく「交易・海洋貿易」事始めを現代の人類史研究者たちが
その「交易船」を再現し、実際に航海しようという企画を番組が追った。

ということで、途中からは「船大工」による古代船復元という側面に、
まったく予想外の方向に展開したので、わたしにも強い興味がわき起こった次第。
木を使って技術開発するという、建築に類縁する人類記憶的興味。
残されていた古代遺跡のレリーフを徹底検証して古代海洋船の
設計情報を丹念に探り、全長20m、船幅5mという大きさも割り出す。
それを現代のCAD情報として合理的にまとめあげて、
さらに現代にまで伝統技術を伝えている「船大工」を探し出し施工を依頼する。
古代においてはレバノン杉が素材とされたが、組成材質が近似する
米松が選定された。それに対して古代遺跡から発掘された船の断片板から、
数十枚の木片ピースで構成された事実を発見し、そのままに設計し施工した。
現代の木造船製造技術とはまったく違って「竜骨」といわれる
骨組みに対して、木片ピースで組み上げていくのだという。
当然、緊結させるのには「かすがい」のような部材が工夫された。
最大の問題である「防水性」については、水に浮かべると木材が膨張して
水の浸入が防げるはずだと当初推定していたが、実際にはそうはならず、
繊維質素材を封入した上から、蜜蝋で塗装仕上げして防水仕様とした。
それでめでたく水に浮かべることはできたけれど、
帆船の操縦については、いろいろな経験知の取得が必要で、失敗を重ねた。
風を受けすぎればマストが折れたりするので、帆を大小で使い分けるなどの
操縦技術「再発見・開発」も必要だったとされていた。
そんな経緯が丹念に番組として紹介された。
無事にこの女王発意の「海洋貿易」活動は成功を収め、その後の
エジプト王朝の繁栄の基盤になったのだとされていた。
それまで富の獲得が、対外戦争での略奪しかないと固定概念となっていたのが
ここから人類的な価値転換がなされたのだと。

人類史という視点が世界的に大きく着目されるようになって来ている。
いまに至る人類の「常識」がどのように獲得されてきたのか、
家族がどうして生まれたか、住居がどうして出現したのか、
そういった根源的な営為の初源への知的探究は、
さまざまな知的感動を呼ぶものだと、深く興味を抱いた次第です。








【江戸明治の北前船蝦夷地交易の空間記憶】




写真は北海道の日本海側北部、小平町の「花田家番屋」。
北海道ではいわゆる「歴史的建造物」という建築の数が少ないけれど、
そのなかでは比較的に保存が進んでいる江戸末期ー明治期の
大型漁業施設建築遺構です。
わたしはけっこう大好きで、ときどき訪問することがある建物。
以前は、この大型建築だけが海岸に対峙するように建っていたのですが、
最近は「道の駅」的な観光客収容施設も併設されています。
なんどか、このブログでも紹介してきました。

こういう建物に遭遇すると、わたしなどは、下の写真のような大空間架構に
強く惹かれる自分がいます。
たぶん、歴史的な歳月を力強く支えてきた構造の力強さに、
圧倒的な迫力を感じるのだろうと思いますね。
日本の歴史的木造建築といえば多くは宗教的建築が多いでしょう。
それは無条件で多数の人間が集う場であり、その空間を「良く」作ることこそが
基本的な建築の任務だということを教えてくれる。
そして長い年月を経てきたそういった建築には、そのこと自体で
ひとびとのリスペクトの意識が高まっていくのでしょう。
そういった本州地域で一般的な大型木造建築のありようとは違って、
北海道地域では、この建物のような「産業施設建築」が遺った。
宗教空間とは違って、なにやら物欲的な建築意図、精神。
他の地域では商家とかが相当するのかもしれませんが、
それらとも大きく違いがある。京都商家などが文化的洗練に走るのとは
どうも相当の精神性の違いがあると思わされます。
しかしもちろん、武家の大型木造城郭建築のように権力志向ではない。
どこか、独特な雰囲気が支配しているように思います。
そういった建築の意図を持っていただろう、「親方の空間」の方の
生活感というか、信条のようなものが垣間見えるのが、上のような
座敷を持った親方の私的空間の方であります。
現代の建築で言えば、工場・職住一体型の大型建築というようなことでしょう。
そういったオーナーの意識が、こういう床の間などに表現される。
江戸から明治にかけての「北前船交易」の経済主体というのが、
かれらの本性になるのでしょうが、高田屋嘉兵衛的な時代精神が
類推されるような空間性であります。
その北前船交易は、一攫千金的な大型漁業が基盤になっている。
たぶん、蝦夷地での漁業というやや投機的な気分、
それを「上方」に運んで巨利を得ていたかれらの精神が想像される。
床柱には、見たこともないような奇怪な姿形の銘木が使われていた。
北前船に乗ってビジネス旅行にやってきただろう上方商売人に対して
このような空間性で「もてなして」いたことになる。
少し驚かしてやれ、というような設計意図も感じる。
そうでなくても、大型架構の空間には度肝を抜かれる部分があっただろう。

はるかな後世にあたるわれわれ現代人も、
このような空間には、見たこともない豪放磊落な世界観をみて、
ふーむと、しばし思いを致すところがあります。
こういった世界観というか、生き方が一時期のニッポンには存在していた。
そういう面白みに、強く惹き付けられますね。






【前真之氏講演より 住宅問題認識の日独比較】





きのうは東京から前真之東大准教授が来札され、
夕方からTDKショールームで増改築産業の団体であるJERCO主催の講演会。
ちょうど、Replan本誌での連載記事の進行校正もあって、
事前には当社事務所に来ていただいて情報交換もさせていただけました。
前回の記事から、インターネット上での拡散も始めていますが、
今後とも全国的な発信も心がけて行きたいと考えています。
講演の内容は骨格的には断熱改修のススメというものでしたが、
いつものようにさまざまなデータを活用して気付きを与えていただきました。

わたし的には最近、世界のパッシブハウスの状況について
さまざまな動向や変化が見られるようになっているので、
とくに先生が開示された日独の住宅マーケット比較に強い興味を持ちました。
その開示された情報が上の2点の画像。
人口規模は日本が約1.2億人に対しドイツは8267万人。
おおまかに3:2というくらいの経済規模といえるでしょう。
日本の住宅マーケットは総額で52.3兆円の経済規模。
新築37.4兆円・改修14.9兆円。71%:29%という割合。
一方ドイツでは総額で35.2兆円の経済規模。
そのうち新築は10.7兆円。30%。
改修の方は2つのカテゴリーに分けられ、
・省エネ7.4兆円21%。・改修17.2兆円49%とされていた。
住宅建築総体の経済サイズは52:35と、おおむね人口比に比例する。
日本は、新築偏重の住宅政策であると長年指摘されてきましたが、
ドイツでは政策的誘導処置で、既存住宅改修へのシフトが
強力に働きかけられているということだそうです。
そのプロセスでは新築事業者の倒産といった事態すら進行したとされた。
そういった状況がグラフとしても巨視的に把握できた次第。
このような政策誘導は、住宅への社会的認識の差であるのかも知れません。
日本では「景気対策」として住宅投資が繰り返し活用された結果、
既存住宅の「空き家」が急増を招いている。
空き家率比較では、ドイツは4.5%なのに対して日本は13.5%にも上る。
ドイツでは住宅は社会資産という価値感が強く存在しているので、
「空き家」というものに対する危機意識が非常に強いのだという。
こうした「資産意識」は、「賃貸住宅比率」の差となっても見て取れる。
ドイツが5割を超える率なのに、日本は35%にしかすぎない。
空き家を社会的なムダと強く認識する社会であるということですね。
たしかに賃貸住宅が「空き家」になっていれば、社会としても効率はよくない。
一方で日本は基本的に「使い捨て」文化を許容する社会であるかのよう。
また、とくに「省エネ改修」が一般的改修と区分けして統計されていることも
ドイツの住宅政策のありようを明瞭に伝えてくれる。

こういった流れを踏まえて、集合住宅の省エネ化が
大きなテーマとして浮かび上がってきている状況が見えてきますね。
先生の講演でも、北海道でのマンション断熱改修が取り上げられていました。
いろいろと気付かされる点の大きな講演だったと思います。
あ、いつものようにわたしの画像が「悪の象徴」として紹介されてもおりました(泣)。
先生の例の「電気蓄熱暖房器」撲滅キャンペーン。近々対応予定なんですが、
う〜む、であります(笑)。ま、事実だし、しょがないなぁ・・・。












【建築家の社会的需要 「国立新美術館」by黒川紀章】




地方にいて、しかも住宅に特化した仕事をしていると、忙しさにかまけて
公共的建築への強い興味を持つことはつい少なくなる。
っていうか、興味はあるし関心もあるけれど、
もうちょっと手ざわりや、それこそ空気の質感といったレベルに興味が向かい、
その余白でしか、公共的建築を認識していない。
そんななかでことし、6月の「日本学術会議」や今月の「安藤忠雄展」で
この「国立新美術館」をはじめは外観だけ、2度目は内観から、
半年ほどの時間スパンの間に体感することができた。
学術会議の時は、それこそ六本木の地下鉄駅から偶然、学術会館までの
通りすがりに「こんなのあったんだ」レベルで見ていた。

しかしこの特徴的な外観はやはり強く印象づけられた。
当然のように「誰が設計したんだろう」という興味は持たされた建築だった。
こういったナショナルな投資が首都にはどうしても集中する。
面白い建築計画は首都になるのはやむを得ない。
で、そしてこうした施設の建設に当たって、才気に満ちた設計者はどうしても必要。
その国に「ふさわしい」建築が求められるのは必然。
建築的な側面から、また文化的歴史的側面から、総体としての
「社会的」判断がそこに加わって、建築計画が固まっていく。
この「新美術館」とは、その最初の遭遇からほぼ半年の経過があって、
ちょうど「安藤忠雄展」が開かれ、その会場ということで、
ちょうどいいなぁと楽しみにしていた再会。
そもそも、この「新美術館」というのはどういった性格の建築なのか?
Wikipediaには以下の記述。
〜国立新美術館(The National Art Center, Tokyo)は、東京・六本木にある
美術館。日本で5館目の国立美術館として2007年(平成19年)1月に開館。
文化庁国立新美術館設立準備室と独立行政法人国立美術館が主体となって
東京大学生産技術研究所跡地(さらに元は旧日本陸軍歩兵第3連隊駐屯地跡地)
に建設された美術館。歴代の館長はすべて文部官僚からの天下り。
国立美術館としては1977年開館した国立国際美術館以来、30年ぶり新設。
延床面積は日本最大で、それまで最大の大塚国際美術館の約1.5倍に及ぶ。
独立行政法人国立美術館に所属している中で唯一コレクションを持たない為、
英語名は収蔵品を持つのが通常のミュージアムではなくアートセンターを用い、
THE NATIONAL ART CENTER-TOKYO」を名乗る。
設立目的を展覧会の開催・情報収集およびその公開・教育普及としている。
日本の芸術文化の育成・国際的な芸術情報発信拠点としての役割が期待された。
黒川紀章設計の美術館としては最後のものとなった。〜

比較的に分野を限定しない幅広い「文化発信」機能を持つようで
今回の「安藤忠雄展」のような催事は、こうした狙いが現実化したもののようです。
そういえば、今回展示は「開館10周年」の周年イベントでもあるとされた。
建築家というひとたちは、「美術館」で展示されることを希求するタイプが多い。
絵画や彫刻とはスケールが違ってプロジェクトが直接社会を巻き込むので、
いわゆる「作家性」は公共性の枠内に閉じ込められざるを得ない。
そのことにある種のコンプレックスに似た心情を持つようなのだ。
またこうした国家プロジェクトをデザイン担当する「納得感」を担保するために
「高名である」ことがどうしても不可欠になることは十分に了解できる。
公共建築が社会的存在である以上、これは無限に続くテーマでしょうね。
日本の場合、こうした建築家としての「社会性認知獲得」のために
住宅もそのひとつの「成り上がり動線」にもなっていることが特徴的であるのかも。
まぁそういったあたりから、住宅のシーンと繋がる興味が存在するのですね。
住宅作家といわれた人が、あるとき巨大プロジェクトを率いたりする。
本日はこういった「公共建築への素描」テーマということで。
少なくともこの新美術館、わたし的には印象的な建物だと思わされました。









【鎌田紀彦氏の「エコハウス」審査への疑問から】



住宅の賞というのはたくさんあります。
わたし自身もそういう賞の審査員をやったりしたこともある。
顧みていかに不明であったかと恥じらう自分がいます。
そういう経験からしても、やっぱりそれぞれ成立の仕方が違う個別の住宅に
「優劣」を付けるのは、相当ムリがあるようにいつも感じています。
きのうFacebookをチェックしていたら、秋田の建築家・西方里見さんが
自ら応募された賞の選考過程について、率直な意見を発言されていた。
わたしのような人間は、応募する作り手とは違う立場なので、
その内的な葛藤は、忖度することはできるけれど見えにくい部分もある。
けれど、言わんとしていることはおおむね共感出来ると思いました。
そんなことを考えていて、数日前の建築知識ビルダーズ主催の「エコハウス」
審査の時にゲストとして発言を求められた鎌田紀彦氏の発言を思い出した。
以下、録音データからその内容・要旨を。

「ボクは世の中に厚い断熱の建物を普及させようと思ってやってきたんですけど、
この審査に残った厚い断熱の住宅を見ていると感慨深いものがある。
しかし、このコンテストは厚い断熱を競うものではなく、エコハウスなのだという。
では「エコハウス」ってなんだ、なんの意味があるんだろうと考えさせられた。
何を競っているのかが疑問。エコハウスがなにを意味しているのか不明。
(中略〜北海道から応募した住宅へのコメントで)審査員の顔ぶれをを見て
どうしてこの人たちが北海道の住宅を審査できるのかと思った(会場爆笑)。」

かく言うわたしも、(会場爆笑)のあたりで激しく同意していた(笑)。
まぁ先生らしい一流のジョークではあったのですが、核心も突いているなぁと。
住宅の賞ということには大きな意義はあると思います。
とくにいま断熱ということが普及段階にある日本の温暖地においては
賞の存在自体が、そのことへの関心を呼び起こす大きな起爆剤になる。
この「エコハウス」賞がそういう役割を果たしてきていることはリスペクトします。
しかしその上で、住宅に優劣を付けるコンテストをやるのであれば、
その「判断基準」要素を常識的にわかるように明示すべきだと思う。
応募する側にとっては、非常に多くの設計制約を踏まえながら、
ある解に至った建物を、さらに非常な努力を払って「応募」している。
その努力に対して「優劣を付ける」には、明確な基準が示されなければならない。
ある北海道の住宅の賞の「講評」で、本州地域から来た審査者が、
応募者が住宅説明にQ値とかC値とか平明な数値を示して話しているというのに、
断熱気密について自らはほとんど知識がないと公言されていた。
断熱という基本を踏まえてデザインしている応募者対象に対して
失礼ながら、そこを知らないで住宅デザインを審査していることになる。
そのような住宅の賞のいまの現実を見ていると、人口の8割を占める温暖地側が、
人口規模の多寡のエセ「正統性」や恣意で順位を押しつけているだけではないかと。
それは中央に対して「鄙」は服従すべきと言っているようにも聞こえる。
住宅の賞というものに、どうも納得がいかない部分がある。



















【一夜で真冬(泣) 雪とのパッシブな対話とは?】



全国のみなさん、おはようございます。
できれば広く日本中の温暖地にお届けしたいステキな白い恋人です。
これから始まる冬のセレナーデ、忘れずに来る律儀なヤツとお笑いください。
・・・って、まぁ。愚痴はとめどなくあふれ出てくる(笑)。
ややヤケ気味に迎える本格的冬将軍。にしても、いきなりの大雪模様。
もうちょっとね、冬の到来には抒情感くらいがほしいですよね。
少女が空を見上げ、その瞳にキラキラと落ちるほのかな雪くらいがいい。

というようにどんなに嘆いてみても、始まりません。
本日から、北国の男として雪との格闘は避けて通れないさだめ。
長靴を取りだしてきて、除雪器具も引っ張り出して、
用意を調えて、始めたいと思います。
雪かきは始めてしまえば、あとは慣れなので、
カラダも習慣に対して従順に対応するようになる。
それは人間の考える範囲を超えた事象なので、
自分たちの気持ちに整理整頓を付けて、自然と仲良くするしかない。
考えてみるとこういった対応は、自然へのパッシブな人間対応といえる。

ただ、温暖地の建築研究者の方から「自然と繋がる環境住宅」論を
聞かされたりすると、ちょっと「繋がりたくない」気分になるのは仕方がない。
これは物理の問題であって、けっして情緒の問題ではない。
「繋がって」しまうと、人間の体温が奪われてしまう凶暴さを北の冬は持っている。
だからといって非パッシブに、エネルギーを爆使いして
いわば、アクティブに対応できるものでもない。
雪とは対話しパッシブに受け入れて、人間生存領域と「仕分ける」しかない。
基本的に「断熱」は、この「仕分ける」ために人類が獲得した普遍的技術。
コントロール可能な人間生存環境創造を容易にする知恵であり、
少なくとも北国的には「環境」というコトバはそれこそが中核的概念だと思う。
そこから敷衍して気候に対して人間生存領域を普遍的に獲得する手段となった。
いわばイキモノとしての生存センサー領域創造にかかわるこのことについて、
やや文学的比喩のような「自然と繋がる」みたいな言い方をされると、
その気分において許容しがたくなるのですね。
断熱を無視した「環境論」には、危険の匂いを感じざるを得ない。

おっと、雪かきから断熱論になってしまった(笑)。
切り替えてこころ穏やかに、自然に対応してきたいと思います。















【地域オリジナル限定版「Replan青森」VOL4発刊!】



本日は当社の新刊のご紹介です。
これから年末年始にかけてたくさんの別冊企画が進行しています。
この「Replan青森」は、南北に長く地域性の顕著な東北地域で
さらに密着して「地域性」に配慮した青森県オリジナル版。
年に1回の企画でことしで4年目、第4号の発刊。
北海道並みの厳寒地対応が不可欠である一方、日本の伝統的な家づくりも息づく。
そして「青い森」と呼ばれる豊富な地場木材資源に恵まれた青森県。
大きくは太平洋側と日本海側に分かれていて、
その真ん中に陸奥湾に面した県中央の青森市がある。
日本海側は多雪で湿度の多い地域。青森市も独特の気候特性で
北海道札幌以上の多雪地域でもあります。
一方、太平洋側は小雪で、乾燥しているけれど底冷えの地域。
改正前の「省エネ区分」では北海道と同じ1地域も存在していた。
地域住宅雑誌として青森の家づくりの「羅針盤」の意味合いを込めました。
家を建てると言うことは、その地域に根ざして生きることそのもの。
青森の土地を知り、気候風土をよくわきまえ、
最新の技術を巧みに取り入れ、さらにいごこちのいいデザインを求める。
そう考えれば、やはり地域を知り尽くした「作り手」の情報発掘が欠かせない。
大手ハウスメーカーではあり得ない技術研鑽と、デザイン感覚を磨いた作り手たち。
みなさんの家づくりが素晴らしいものになるように、
地域住宅雑誌としての視線で、厳選した優良ビルダー情報をお届けします。

Contents
◆巻頭特集
青森で家を建てる。ということ
Case.01 最小限の好きなものに囲まれたシンプルな暮らし
Case.02 共有リビングから広がるプライベートガーデンのある二世帯住宅
Case.03 インテリア・家具好きの“理想”を追求でき価値も続く家
◆地域を深く知る県内ビルダーが建てた 青森の住まい・実例集 
◆オススメの収納アイデア
◆エルムECOタウン 厳選3実例 
◆新住協青森支部特集 「Q1.0住宅で日本一の短命県の汚名返上! 」
◆Q1.0住宅デザイン論 <新住協 代表理事・鎌田 紀彦>

■webにて先行予約も受付中!!
11月16日(木)~11月21日(火)
※期間中にお申し込みいただいた方へは、
一部地域の方を除いて、発売日までにお届けします。
2017年11月29日発売・A4版 本体価格907円(税込:980円)
お申し込みはこちらへ。



【安藤忠雄展 「住むきびしさ」の芸術止揚】



前回の東京出張時、見学しようとしていたらなんと「火曜日休館」だった(泣)、
東京乃木坂の国立新美術館で開催中の「安藤忠雄展」ようやくチェックイン。
なんですが、乃木坂駅で降りて国立新美術館方面に向かったら、
駅構内に「臨時券売所」ができていた。
どうも当方の認識不足のようで、大勢の「高齢者」(失礼)のみなさんが
みんな吸い寄せられるようにこの展覧会に足を向けているではありませんか。
まぁ平日の午前中という時間帯と言うこともあったのでしょうが、
建築志望の若者や、中国観光客以上に、高齢の方が目立った。
みんなちょっとめかし込んで大人の美術鑑賞、エスプリ感を発している。
おお、都市ゲリラ・安藤忠雄はいまや、国民的人気「芸術家」ということなのか。
こういった薫り高い文化嗜好対象になったのだとご同慶の思いが募ってくる。
どうやら、わたしごとき人間には計りがたい巨大さが安藤さんにはある。

「わたしに住宅の設計を依頼する人には、住みにくいですよとハッキリ言う。
そういう生きることの大変さに意味があると思えるひとと、
いっしょに住宅を作ってきた。寒いツライという人には、頑張れと言ってきた」
と例のダミ声のイヤホン解説が語りかけてくる。
さすがに図表で掲示されていた住宅作品の施主さんに北海道の人はいなかった。
「寒いツライ」を「服をたくさん着込めばいい」と説諭されて、
なお、その大先生と「生きるツラさ」の芸術的境地を共有したいと考える人は、
いないことはないだろう。またそのことを全否定もしない。
しかしそれが人間の暮らし方として高位であるとは言えないし、
そういった無断熱「自然」住宅が「優れている」などとは絶対に言えない。
安藤忠雄さんは、わたし的にはきわめてアンビバレンツな存在であります。
<注:アンビバレンツ=同じ物事に対して、相反する感情を同時に抱くこと。
一人の人物について、好意と嫌悪を同時に持つ、などのような場合が該当する。>
住宅建築についてはその造形感覚について刺激的ではある。
それこそ写真表現者的には、思わず引き込まれるような場の緊張感がある。
しかしどう考えても、ああしたコンクリート打ち放しの身体的環境が、
生身の人間に対してどうであるか、容易に想像が付く。「寒いツライ」。
一方で、いまや世界的に展開している非住宅の建築群について、
「多くの人間が集まる場の創造力」については、同意する部分が多い。
先般、講演会で氏の口から聞いた札幌真駒内霊園の「頭大仏」については、
その発想の面白さ、天才ぶりに大いに共感した。
札幌に住んでいる人間として、安藤さんが「手を加える」前の大仏には
世間一般同様、どうしても承服しがたい印象を持っていた(笑)
しかしその大仏を小山を築いて被覆し、一方で地面レベルからトンネルを
あえてくぐり抜けさせて、あふれる光の中に大仏を再見させるプランニングは、
たぶん茶室的な「出会い」創造コンセプトと、深く驚かされ惹き付けられた。
トマムの「水の教会」でも、このコンセプトは一貫していたと思います。
建築はまずはその場で感受するものだと思うので、
安藤さんの建築は大好きで、あちこちめぐり会うことがやはり楽しみです。

安藤さんはスフィンクスみたいなもので、
たぶん、相対する人間を映し出す鏡のようなものであるのかも知れませんね。
かれが出現したときの時代の建築関連メディアの人たちにとって、
たまらない妖しさが魅力としてあっただろうことは疑えない。
ただひとつ、安藤さんが世に出てきた同時代に、
北海道ではコンクリートブロック外断熱の住宅群が地域の建築家たちによって
創造されていた。わたしなどもその創造運動に関わってきて、
自宅もそのように建てた人間からすると、安藤建築にある無常観は持っている。
はるかな後世になって、安藤さん的コンクリート打ち放し無断熱住宅建築と、
初めから人間環境優先で考え「外断熱」で建てられた北方型ブロック住宅建築の
どちらが歴史的評価を得るのかについては、しかしまだ諦めているワケではない。














【温度差がない設計の自由 鎌田紀彦-堀部安嗣対論】




昨日はジャパンホームショーの行われている東京国際展示場にて
鎌田紀彦-堀部安嗣対論のイベントがあり、取材してきました。
最近になって温暖地でも2020年断熱義務化を控えて、
高断熱高気密への対応が作り手の側で盛り上がってきたようで、
こうしたイベントでも、よく鎌田先生が登場するようになって来た。
とくに今年は、いろいろな催事に鎌田先生が引っ張りだこのようです。

この対論の模様については、詳細に内容をチェックして
ほかのテーマともあわせてまとめたいと思っています。
本日はそういう意味で速報的な報告を。
断熱気密化というテーマについては、いまの「普及」主戦場は温暖地だと思います。
一方で寒冷地・北海道東北は「深化」の段階という違いがあるのでしょう。
鎌田紀彦先生の発言はこれまでの流れのままであり何も変化はない。
ただ、今回の対論相手、堀部安嗣さんのような温暖地の建築家やビルダーさんが
ようやくふつうに高断熱高気密化に取り組みはじめたということ。
対論の中で堀部安嗣さんが正直に答えていたように、
要するに思い込み、高断熱高気密にすると自由な設計デザインが
制約を受けるのではないか、ということへの
「なんとなく」の拒否反応レベルだったとの告白。
そういった段階を乗り越え、堀部安嗣さんは、いごこちとか、
目には見えないけれど決定的な「環境」要素も設計できるようになって
より高レベルの住環境をユーザーに提案していけると実感しているという。
とくに、これまでの設計ではたとえば建物北側の温度低下を無意識に
設計要素としてアタマに入れ与条件と考えていたけれど、
高断熱高気密化することで、家中の温度差がなくなるという「自由度」を
大きく認識するようになった、と発言されていた。
そういう「制約」が設計において排除されるようになったということ。
そうか、と同意できた部分でした。
このような気付きのことについていえば、
北海道でも、高断熱高気密化が進んで「吹き抜け」などの空間設計に
ほぼ躊躇がなくなった時期が数十年前にあった。
それと同質のコトバが、いま温暖地の設計者の認識として
発せられるようになって来たのだと理解出来た。
温暖地と寒冷地の「普及段階と深化段階」という相違が実感できた瞬間。
考えてみれば当たり前のことですが、
ようやく共通の地点に立って論議がはじめられると思わされました。
そうした気付きを持った温暖地の住宅の作り手たちからは、
寒冷地側も大いに「学び」を得られるようになるのではと期待が高まります。
堀部安嗣さんからは住宅建築の古層の知見、技術などへのリスペクトも
発言がありましたが、そういった部分は寒冷地住宅も
大いに学んでいきたいと思った次第です。
結局は日本の住宅が総体として「進化」プロセスにあるのだと思いました。













【江戸期絵図面に見るナマナマしい地方「政経」構造】





写真はわが家の先祖伝承を探訪してきて
先般見学して来た姫路市林田の「三木家住宅」復元主屋の様子です。
この林田という地域は江戸期には1万石といういちばん小規模の「大名領地」。
1万石というのは、米の生産高が1万人の1年分に相当するという意味。
この計算式はなかなか秀逸なようで、江戸期末期の全国の石高は3.000万石と言われ、
また人口も3,000万人と相似していたとされる。
で、大名さんは「建部」さんということだそうですが、
この下の絵図面では「武部」という名前で記載されています。
「武部内匠頭」1万石というように記載がある。
絵図制作に当たっての「校正」が十分ではなかった(笑)のか、
そもそも漢字の表記にはおおらかであったのか、その両方でしょうか。
で、わが家の家系に連なるこちらの「三木」さんは、
絵図上では「構」と表記され「三木三郎左衛門」の屋敷が図右上にある。
ちなみにこの三木家住宅は復元され、配置図平面図は以下の通り。



塀がまわされた中庭空間の様子は、絵図の三木家図でもわかる。
さらに「御下高一万石百姓也」と記載されていて「大庄屋」の機能がわかる。
図には「御成門」も描かれている。
ということで、政治というか、軍事警察機構当主である建部(武部)さんと
経済を司っている「三木家」さん両方で「一万石」という表記・記載が重なっている。
江戸時代のニッポンの1/3000のミニチュア模型のような
典型的な地域支配の構造がピンナップされているのですね。
まことにわかりやすい。
まぁ実際に1万人程度がこの領国地域に居住存在していたかどうかは
そこまではわかりませんが、江戸時代このような構造によって
社会は営まれてきたことが明瞭に伝わってきます。
大体、絵図にこうした経済支配の差配人の家屋敷が明示されるのですから、
支配構造のどうであるかは、明らかではありますね。

歴史理解って、ある定点的な了解点から広がっていくのだと思います。
こういう「座標軸」が明確になり、そして復元された三木家住宅がある。
それらを大きな手掛かりにして、いろいろな人間活動が「取材」で明らかになる。
わたしの場合、たまたま遠い縁戚のような気分も感じられて、
この播州姫路の地が一気に超身近なものに感じられるようになってきました。
この「歴史のモノサシ」を使って、もっと生々しく学んでいきたいと思っている。
まことに老後の研究テーマには事欠かない次第であります(笑)。
ただしそのような境遇にまで至れるのかどうか、
日々地道に経済活動に精を出して、将来は坂の上の雲を追っていきたいです。