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【がんばれ、地元情報で大雪とたたかう福井新聞】



37年ぶりの豪雪に見舞われている福井県。
ふだんの年では考えられないほどの積雪深に市民生活がマヒ状態という。
福井市で16日現在77cm、平年比513%だという。
同じく札幌市は63cmで平年比83%。平年比がハンパない。
国道8号での道路渋滞で動かなくなった車列の映像は生々しかったのですが、
また、今週も大雪が予想されているという。
北海道は毎年のように積雪が、たとえば札幌では6mを越すし、
ニセコ地区では軽く8mを超えているようですが、
こちらでは常態なので「備え」があり生活インフラが脅かされることはない。
そういう雪国として、北陸の暮らしのたたかいにエールを送りたい。
しかし平年比5倍を超すという事態は想像を超えるでしょうね。
そんななかで、インターネットからの情報で
地域新聞社・福井新聞社の地域情報発信のニュースにふれた。
「全国ニュースと地元紙、この記録的大雪を
どのような視点でとらえて伝えたのか」という視角からの情報。
<以下、やや長文ですがYahooニュースからの要旨抜粋>

〜2月5日朝、同3日から降り始めた雪は福井市にどんどん積もり始めた。

 
地元の福井新聞社は、雪に慣れている福井県民は積もり方を見ながら
早めに行動すると予測。午前10時15分には福井新聞ONLINEで今後の大雪に
警戒を呼びかける気象情報を掲載。 「これはただごとではない」

 
その後も目に見えて増えていく積雪に、同社編集局はそう感じた。
午後からは公共交通運休や積雪などのデジタル情報発信を随時続けた。
翌6日、福井市内では1日に50センチを超える激しい降雪となり、
除雪が追いつかなくなった。この日午前から国道8号で動けない車が出てきた。
午後からは立ち往生した車列の様子が全国的に報じられ始め、
福井市の積雪は五六豪雪以来37年ぶりに130センチを超えた。
そういうなかで、福井新聞デジタル版では
2012年本格的にデジタル有料サービスをスタートしてから初めて、
同日から紙面イメージ無料公開に踏み切った(16日現在継続中)。
「雪捨て場やごみ収集の情報は、地元の人しか読まないでしょう」と
スタッフはいう。メールやSNSによる要望の多かった渋滞交通情報の発信を、
できる限りに応じようと判断した。
自分たちも「同じ大雪の中で生活する県民」という視点と、
五六豪雪当時にはなかったSNSの活用が生活密着の情報発信につながった。〜

まことに地域密着での機敏な対応に打たれます。
さらにその姿勢を強く感じさせられたのは、全国情報がいっせいに
国道8号の渋滞について「ほぼ渋滞解消」と報道した時点で
地元県民向けには不適切とスタッフが判断したこと。
〜われわれまでが『ほぼ解消』と報じたならば、地元県民は
『解消した』『間もなく解消』と解釈し、国道8号へ向かうかもしれない。
その結果でどのような悪影響が起きるか、と考えたのだという。
「顔が見える地元新聞社の責任。

当事者にとってのニュースを伝えるのは
地元紙だけだと感じた。一層県民視点で報じたい」
福井新聞の大雪報道はまだ続いている。〜

伝える内容は違うけれど、メディアとしての情報発信の本質の部分で
深く感じさせられるものがありました。
こういう暮らしへの想像力をしっかり持ち続けていきたい。









【環境住宅とは「いい居心地」の探究】



日本人は北海道に集団移住するようになってから
住宅というものの意味についてより深く考えはじめるようになった。
明治以前にはごく局所的にしか、この列島北端の島には日本人は
住んでいなかったのは、日本社会の基本である米作に適していなかったから。
そういう土地に経済的魅力を感じていなかったということでしょう。
長い積雪寒冷期を持っていて、夏場の気候安定期が短い。
なにより、民族的な住宅技術である木造構法には
寒冷気候への対応力がほぼ考えられていなかった。
その日本の住宅建築技術が、多くの先人たちの努力で革新されてきた。
明治の革命政権政府は、北海道への移住を勧めるために
多くの「補助金」を支給したとされる。
その魅力に釣られて移住した人々は、しかしあくまでも「出稼ぎ」根性で
開拓期の社会混乱の中で「一旗揚げて」その郷里に帰還する気分だった。
なので、補助金を与えて永住的住宅建設資金を出しているのに、
建てられた「住宅」は、ごく間に合わせの仮設的小屋ばかりだった。
司馬遼太郎さんの北海道住宅についての取材記述によれば、
そうした小屋で火事が多発したとされる。
それは単に火の不始末だけであったかどうか、という側聞を書かれていた。

そういった経緯まであったように、
北海道では官民を挙げて、この地で人が住み続けられる住宅に
情熱が注ぎ込まれてきたと言っていい。
今日でも「北方型住宅」とか、「きた住まいる」といった
「地域住宅施策」に社会背景的根拠があるというのは、北海道だけでしょう。
積雪寒冷という気候風土条件から自由な居住環境を実現する
「環境性能」努力を、150年以上北海道地域は続けてきた。
世界でもこうした寒冷対応住宅技術は、北欧や北米などで
この数十年において実現された「環境技術」であることは明白。
日本中央の無関心とはまったく別の地平で、北海道は北欧や北米と連携し、
「環境性能技術」を創造してきたと言えるでしょう。
寒冷地で「断熱気密」工法開発努力が重ねられたことが無視されたりする
そういうことには、強い違和感を持たざるを得ない理由です。
結局、住宅がもとめるものは、住む人を安定した環境でつつむこと。
いま、温暖地域でも冬の寒さ、夏の暑さへの室内居住環境対応が
ごく常識的に求められるように変化してきている。
できればそういったみなさんに、あるオピニオンを持った住宅情報を
ぜひ提供していきたい、そんな思いで関西版やWEBマガジンの展開などで
拡散していきたいと思っています。
写真は大阪中心部梅田の大きな書店での「Replan関西」陳列の様子。






【都市居住のニッポン的原風景】




写真は大阪歴史博物館で展示されていた「中世都市」のジオラマ。
農耕が基本の社会では多くの人間は生産手段・農地に縛られる。
しかし、その生産物は「交易」を通して流通される。
基本は「農的共同体」としてのムラ社会が人間の「まゆ」だったのが、
それ以外の生き方として、伝統的「海民」とともに、
交易商業に専門的に携わる生き方というのもあったでしょう。
都市とはそのように生成されてきたのは間違いがない。

現代の住宅というのは、いくつのルーツがあるのでしょうが、
この「都市居住」というカタチが、ある原型であることは間違いない。
あくまでも「道」に対しての関係性が大きい部分。
中世都市では一般的に交通上の要衝地に立地した。
そういう立地要件から防衛的な土塁や塀で囲む形式が多かったとされる。
街割りは、道路に対して短冊状に土地利用が仕分けられた。
2枚目写真の「街割り」を見ると、それぞれ、
「銭屋」「薬屋」「唐物屋」「魚屋」「米屋」「武具屋」というような
主要商品ごとになっている。
銭屋と、武具屋というのが、都市の店舗として一般的だったというのが
なにごとかを感じさせてくれる。
銭屋というのは、両替や金融というような必要に対応していたのでしょう。
以下、Wikipediaからの引用。
〜銭見世(みせ)、銭両替(りょうがえ)ともいう。
銭の売買・交換をすることによって手数料を得る小資本の両替商。
中世より、替銭・割符と呼ばれる為替の前身にあたる物を扱う
「替銭屋」・「割符屋」と呼ばれる商人が存在した。また、
土倉と呼ばれる倉庫兼金融業者の活動も活発であった。
さらに、戦国時代に入り全国の金山および銀山の産出が増大するにつれ、
山師の持ち込む金銀地金の精錬、鑑定および売買を行う
金屋および銀屋も現れた。後世の両替商はこうした業者が
両替の分野にも関わるようになったものと考えられている。〜
こうした「都市」の機能から交易決済の貨幣は基本的生業。
また、これは明らかな戦争・軍事産業としての「武具屋」。
権力争奪闘争が剥き出しの武力によって行われた時代、
その道具としての武器は大きな産業であったことは間違いがない。
しかしそういう店が、魚屋や米屋と暖簾を並べている光景も
わたしたちの祖先は普通の日常性として見ていたのですね(笑)。
現代社会からは、このような「暴力性」は基本的に排除されたけれど、
そのことの方が歴史的には珍奇なことだというのも事実。
「オヤジ、この刀は人をよく斬れるか」
「そうですね、これもいいけど、こっちの方はもっとですよ」
「こっちの方は、もっと簡単にぶった斬れますよ(笑)」
「そうか、にしても高いな。オヤジ、試し斬りはできるか?」
「そりゃぁ・・・、う〜む、わかりました。罪人をなんとか都合しましょう。」
みたいな怖ろしい商売会話が成立していたのかもと、
しばしブラックユーモアの世界に浸らされてしまった(笑)。
街割りの様子から「暮らし方」への想像がさまざまに沸き立ってきて興味深い。




【風邪の猛威とLINE利用でたたかう】



この冬はことのほか、スタッフの間で風邪が流行中。
インフルも2-3人かかっていましたが、年明けから
お腹に来るタイプですっかりやられたスタッフもいました。
で、いっしょに仕事しているカミさんがついにダウンしまして、
きのう、ようやく連休明けの病院に連れて行けました。
どうも呼吸困難的な様子が出ていて、息が苦しげ。
お医者さんの見立てでは肺炎にまではなっていないけれど、要注意とのこと。
栄養補給と安静を心がけて睡眠第一と安静にしております。

そんなカミさんですが、夫が言うだけではなかなか言うことを聞いて
普段から病院に早めに行こうとはしない。
わたしはムリせずガマンしないタイプなのですが、
カミさんはけっこう溜め込んでガマンするような傾向がある。
一計を案じて今回はそんな様子をLINEで子どもたちに知らせたら、
みごとに反応して姉弟でいっしょになって心配してくれる。
もっぱら発信は娘からで、坊主からは「病院」というひと言のみ。
でも、それでカミさんには十分すぎる言葉掛けのようで、
おとなしく家族の言うことを聞いて病院に同行してくれました。
老いては子に従え、ということわざがありますが、
まことに言い得て妙なのだなぁと,思い至ります。
幸い投薬の効果はさっそく表れてきているようで
けさはだいぶ、普通っぽい体調のように思います。
わたしも今冬は鼻風邪みたいな症状が2度ほどありましたが、
すぐに医者からクスリをもらうタイプなので、悪化は未然に防いでいる。

まだまだ、寒さは続きますので、
みなさん体調管理にはくれぐれもご注意ください。
ということで、本日は身近な話題で失礼いたしました。



【モンゴル遊牧民のPV付き現代住宅】




先日の関西出張時、見学できた「民族学博物館」の一展示。
きっと日本民族に特化した展示内容では、という想像とは違って、
さすがに「万博記念公園」のなかにあるだけあって、
世界の民族についての博物、というまことに広範囲な展示館でした。
こういった展示内容とは知らずに来た当方の勘違いなのですが、
そうなると、各民族での「住まい」への対応の違い、
歴史的感覚の違いなどが面白くてこれも夢中にさせられておりました(笑)。
展示はやはり、衣食住という人間の基本に絞っているので、
そういう意味で、相違と共通性がうかがえます。
で、最近のわたしのテーマ・人類史研究で未経験の非農耕の暮らしに
一番近縁性がありそうなモンゴル・ゲルに惹かれていました。
「遊牧」というライフスタイルは、狩猟採集ではなく、
一種の農業形態というように見なせるのでしょう。
〜天然の水,草を求めて定期的,周期的に移動しながら
家畜を飼育する粗放的な牧畜形態。一般に放牧形式がとられ,
一定期間定住して牧草が乏しくなると新しい土地へ移動する。
移動方向は,ツンドラや乾燥地域では水平移動が行われるが,
高山地域では山と谷の間の垂直移動がみられる。
家畜は地方によってさまざまであるが,牛,羊,やぎなどが多い。〜
<以上、コトバンクよりの引用>
主要な「生産品」は乳製品となるそうですから、農業の一分野でしょう。
しかし、農業一般の「定住」ベースではないので、
住宅という概念で考えるとかれらの移動住居というのは、
そのルーツは狩猟採集時代、石器時代以来の住文化を
ある部分では継承しているのではないかと類推させる。
そんな先入観で見ていたのですが、展示されたゲルには、
先端的な衛星放送アンテナや太陽光発電装置などが付設されていた。
こういった現代エネルギー装置の導入が目覚ましいということ。
「木製の格子を広げて地面に立て安定させてフェルトで覆う。
入り口から入って右側に台所があり女性の座とされる。
反対の左側が男性の座とされる。」と説明されていました。
空間デザインとしては、フェルト越しの柔らかな光環境、
構造の木格子が基調を構成していて、
ほぼ円形の間取り感覚もあって、むしろ未来的デザインを感じた。
エネルギーの面でも、こういう非都市的、非定住的な暮らし方を
現代的エネルギーは大いにサポートする面があると気付かされた。
移動性と居住性との接点として、興味深い住居形式だと思います。
それと「男の座、女の座」というのは朝鮮民族とも共通し、
日本とも連関性が高いと思われます。
広さも現代の夫婦を基本とした関係には適度なサイズなのかも。
この骨格構造の格子の寸法規格を今度調べたいなぁ・・・。




【新千歳と仙台、空港で感じるにぎわい差】



仙台から帰還しました。
金曜日から日曜日の3日間の旅程で各種取材、訪問活動。
いろいろ取材もあったので、そういう報告もまとめますが、
今回は飛行場のにぎわい、とくに新千歳空港の混雑ぶりがハンパなかった。
相対的に仙台の方は乗降も非常にスムーズでした。
折からさっぽろ雪まつりシーズンということもありましたが、
新千歳出発ロビー階の混雑ぶりはまさに異常な状態。
団体のみなさんなどが広い通路部分に並んでいたりするので
ヘタをすると「足の踏み場もない」ような状況が現出していました。
利用客もまことに国際色豊かで国内線路線だというのに、
日本語の話し声は少数派というような印象。
国内線旅客利用では2016年段階で、千歳は約1873万人で
羽田の約6494万人に次いで国内2位ということだそうです。
一方で仙台は速報値で約294万人。
羽田はご存知のように空港機能は実質2つにわかれていて、
しかもそれぞれで乗降口が千歳の3−5倍くらいある感じで、
たくさん歩かされるけれど、スムーズには「通過」できるように思う。
それに対して千歳は、乗降口が20くらいしか整備されていなくて、
とくに最近のLCの乗り入れ増加で爆発寸前ということなのでしょうか。
羽田に対して30%くらいの乗降客があるのに、
インフラ環境としては、かなり整備の遅れが目立ってきた。
参考にしたのは2016年段階データからのものですが、
その後の中国客の個人旅行の増加、国内線の利用増加を考えると
いまは、羽田の4割くらいまで伸ばしてきているのではと思います。
そうした点では仙台は、その千歳の1/6程度の利用ですから、
やはり地域観光客吸引、振興という面では、ややさみしい。
東北の「玄関口」というようには仙台は機能していない面もありますが、
震災復興需要もおおむね一区切り付いてきたことを考えると、
本格的に地域への吸引策を考えていかなければならない。
民営化プランが進行中ということなので地域を挙げての振興努力に期待。
千歳の場合、ショッピングモールとしての魅力も持っていて
旅客以外の利用者もたいへん多いとされている。

わたしは比較的に多くの地域の空港を利用することが多いので
こういった地域差を日頃から肌で感じさせられる次第です。
で、きのうはカミさんが迎えに来てくれたのですが
彼女はやや風邪気味。
もう1日休みがあるので、看病しつつ休養に努めたいと思います。





【ランチの店選びで考えること】



先日、大勢のみなさんが札幌に来られた際に、
昼食のお店を選ぶ必要があった。
でも、十数人でしかもどういう年齢構成かもわからない初対面の方が大多数。
またこちらで費用を負担して「招待」する性質の会食でもない。
要するにワリカンでのランチであります。
でもその「案内役」であるので「選択判断」だけは必要という難しい設定。
ということから、東京からの来客だったこともあって、
庶民的な「札幌中央市場」場外で北海道の海産やいろいろお店が選べる
そんな地域にご案内し、各自にお店の選択肢を示すまでに留めました。
でも、一応コーディネート役として内心では決めているお店があって、
「この周辺に海鮮からラーメンまで店が選べるので、
1時間チョットランチ自由時間にしますので、いったん解散」
とアナウンス後、
「でも各自1000円負担でコスパの良い、手握りの寿司を食べたい人!」
と「この指とまれ」したら、なんと大多数の10人になった。
このあたり、呼吸はむずかしい部分があります。
せっかくの海産生鮮が人気の北海道サッポロ「中央市場」なので、
もっと豪華に「うに丼」みたいのを食べたい人もいるし、
そうではなくお腹いっぱいになる店が良い学生さんもいるワケですから、
案内側では、なかなか特定できないけれど、
最上と思われる選択肢は提供せねばならない、
そのギリギリの選択肢提供手段・方法でもあったのですね。

お店に人数も確定させて事前に連絡しておく方法もあったけれど、
そういった事前準備はもちろんできにくい状況。
なにより全行程の案内のほうが主眼でそっちの準備で忙殺もされていた。
ということで、普段からときどき個人的にも立ち寄っているお寿司やさんに
この10人で立ち寄ることにした次第でした。
最近はお寿司屋さんもすっかり回転鮨が主流で、
のれんの掛かった「お寿司屋さん」では値段がわからないので敬遠する。
幸い、この行きつけの店はネタも目利きがしっかりしていて
シャリがよくその上でコスパに優れていて、安心できるのです。
でもみなさん、どんな寿司が出てくるのかとチョット不安そうな表情。
店主が発注を受けてそこから全部手握りで作っている様を
じっくり見せられてから各自にご覧のような「大盛り寿司ランチ」が出された。
このほかに貝の「お吸い物」が付いてきます。
ネタとシャリのハーモニーはもちろんですが、
やはり寿司って、おいしくて見ての美しさを楽しみたい。
また、いつ握ったかもわからないようなのも食べたくはない。
さりとてランチでそう高額になるのは、庶民にはツライ。
そういった諸条件からは、
この内容で1000円は、そこそこ「民主的」なのではないかと。
食事後、いっしょに会食した方から
「ホントの値段からの差額分、三木さんおごっていただいたのですか?」
というご質問もいただきましたが、まったくの誤解。
みなさんの表情を見て、案内人としてほっと安心を得た次第でした。







【人口減少期の「職能」団体のありよう】



きのうから仙台に入っております。
到着後、事務所にて今回出張の取材要件概要の打合せを済ませ、
企業先を数件訪問。金曜日中に済ませなければならないので駆け足。
いろいろ情報交換させていただけて有意義な訪問でした。
情報だけ入手するのと、人と会って話を聞くのでは天地の開きがある。
なにより想像力が具体的に湧いてくるので、刺激的。
で、その後、市内中心部でJIA東北支部新年会に参加していました。

しばらく顔を見ることがなかったみなさんと旧交を温め、
こちらでも有意義な情報交換が一気にできました。
こういった「情報交換」がタイトルの「職能団体」にとっての
生命線だと思いますし、相当に役立つと思うのですが、
支部会長の鈴木弘二さんのあいさつでは、
JIA組織のなかなかに厳しい現状が率直に開示されていました。
人口減少局面では、こういう職能団体組織に対しての
参加意欲が減退せざるを得ない。
そもそも建築設計の学生志望者自体が減少してくるので、
勢い、このような職能団体への加入の動機も低下する。
そしてそれはひとりJIA、建築業界だけの問題ではなく、
いろいろな業界組織においてもまったく同様であるというようなスピーチでした。
「将来=発展」という明るい未来形が、どんな業界でも見通しにくい。
そういうなかで、どのように目的と使命を再構築できるのか、
変わらないためには必然的に変わらなければならない、
そういうふうに受け止めさせていただいた次第。
わたしの場合、北海道と東北でJIA地域会に関係させていただいていますが、
やはり運動体的な動きが存続のためにも不可欠なのでしょう。
たまたま北海道では先般、日本建築学会・地球の声委員会との
協同のような動きが現実化した。
常に現在に関わるようなテーマを捉えて、それを考え行動することで
いわば自己革新の機会として利用して行く、
そんな考え方がこれからは不可欠になっていくのではと思われました。



【温暖化or寒冷化? 気象変動にどう対応するか】



ことしは寒波が厳しい。
北海道札幌では寒さは厳しいけれど、今のところ積雪は平年を下回っている。
ただ、いずれ帳尻は合っていくのだろうと覚悟はしています。
一方、首都圏でも大雪になったり、
温暖地のほうでは大雪の被害が深刻のよう。
ちょうど今週初めは関西出張でしたが、
その間、北陸福井では大雪の状況が続いていました。
テレビで見るくらいですが、ことし初め1月10日前後にも北陸は
大雪で、東京で会合があったときに福井から来られた方が
交通マヒで大変な思いをしてやってきた、とされていた。
温暖地でも地方ではクルマ社会化しているので、
そこに大雪などがやってきたら、たしかに道路状況は厳しい。
冬タイヤ装着や、除雪体勢の整備などは追いつくはずもない。
北海道では吹雪でも多少であれば、ドライバーの対応など準備があるので
少々のことでは通行止めにはならないけれど、
温暖地域ではそういう社会インフラ・対応力がまったく乏しい。
動けない国道で車中で数日缶詰めになってしまったみなさんには、
本当にお見舞い申し上げたいと思います。

地球温暖化ということが叫ばれますが、
一方でいまは地球規模で寒冷化が進展しているともいわれている。
太陽活動が低下し、周期的な寒冷周期に突入しているという説も出ている。
たぶん温暖化原因自体は進行しつつ、寒冷化も事実としてはある。
その結果、気象の振れの幅が大きくなって来ているのではないか。
真逆なようで、どうもどちらも確かなのかも知れないと思います。
いずれにせよ、寒冷気象への無防備な地域で
極端な事象が頻発するというような時代になって来た。
北海道から見ていると、公共道路の保守体制がまったく出来ていないと
すぐに気付かされる。ひるがえって北海道の先人の努力に敬意が湧く。
しかし、北海道は積雪寒冷という常態に合わせれば良かったのだから、
その意味では対応は単純なことでもあった。
これからの時代、気象がほんとうにどちらに振れていくのか、
温暖化か寒冷化か、社会インフラをどっちに対応させていくかは
非常に判断が難しいところだと思います。
限られた資源、資産を両方対応させることが、本当に可能かどうか、
現代の知恵を試すような気象変動だと強く思わされます。
しかし住宅建築ではそのどちらにも「断熱」が基本対応になるのは
論を待たないでしょう。









【人体の不完全さを補う“環境”の創出】




テキスト部分は、5日月曜日の堀部安嗣講演の主要テーマから。
あまりにも平明に語られている主題なのですが、
ここのところ、いわゆる「環境住宅」を巡ってのさまざまな「対話」の
協同者でもある堀部安嗣さんの発言として明瞭だった。
また上写真は、大阪千里の民族学博物館での遊牧民族の住まい内観。

人間はこの地球上で歴史文化を揺りかごに生存発展し続けてきた。
およそ現生人類8万年のなかでは、
いわゆる「定住」住宅というものはおよそ2万年程度とされる。
それ以前は、狩猟採集段階でのキャンプ生活が基本。
さまざまな生存戦略を試してきた結果、農耕という手段を発見して
「定住」することが可能になったというのが歴史が教える真実。
それは同時に人口ビッグバンをも実現してきた。
この遊牧民族の住まいはその「繋ぎ」のような結節点を教えてくれる。
たぶん、狩猟採集経済から農耕に向かった多数派と
このような遊牧に向かった少数派とに分岐したと思われます。
こうした遊牧生活にではなにがもっとも「人間環境」要素として不可欠か、
そんなふうにこうした住宅を考えることができる。
そうすればかれらの暮らしようと、必要不可欠な環境要素が自ずと見える。
それが人間が生み出した住宅というモノの本質的要素。
いわばデコレーションをゴテゴテに追究するのではなく、
本然的な人間環境要素をシンプルに考える機縁。
かれら遊牧生活民たちは、ユーラシア大陸を東西南北に移動する。
その生活スタイルからウマを普通に使役する習慣を獲得し、
そのことが人間が生み出した権力争奪としての戦争に
大きく役立って一時期、世界をほとんど支配するような帝国も作った。
かれらの住宅はいろいろな地域での人間本然が求める
「環境」のありようを明確にしているのではないか、
堀部安嗣さんの発言から、わたしにはこんなイメージが生起した次第。

ちょうど日本建築学会「地球の声」の動きとも、この発言は
ひとつながりのように感じられる部分だったのです。
「環境住宅」というコトバが、ひとつのデザインエレメントとして
扱ってしまわれる危険姓から、
この堀部安嗣発言は、ひとつの脱出軸を示しているのではないか。
どうもカギはシンプルさにあるような気がします。
さまざまな地球上の「環境」に対して
シンプルな「応答方法」がそれに対置されて論議されるべきだと。
それがどんな「デザイン」を最適解として導き出すのかは
可能な限りシンプルに応答することだと思われる。
まぁわれわれは現代的な経済生活環境にあるので、
「遊動」を基本とする遊牧民族とは自ずとデザインは変わるとしても、
基本因子は見出しうるのではないでしょうか?