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【現生人類だけの能力 抽象⇒想像=創造】



ラスコー展の図録2500円なりの本を見続けています。
まさにいまは「座右の銘」であります(笑)。
生きているうちにこういった知的興奮を経験できて、非常にうれしい。
インスピレーション基底の部分で、非常に強力なものを受け止めているのですね。

で、いちばん感じていることは、
この壁画群は「絵画のはじまり」「芸術の爆発」とされていること。
現生人類の特殊性をそこに見る思いがすることです。
わたしたち現代人に連なってくる祖先には、
この壁画で示されるように「ものごとを抽象する能力」が20,000年前から発現している。
いま現在の文明からすれば、絵画を描くということはごく自然だと受け止められるけれど、
考えてみれば、ほかの動物たちやホモサピエンス以外の他の旧人類からは、
こういった能力についての痕跡は認められないとされる。
自分たちが見て、心を揺さぶられ興奮することがら、
かれらクロマニョン人にとっては、狩猟の対象である動物への深く強いこだわりが、
このような洞窟絵画創造という営為に至らせた。
対象への強い思いはそれらを抽象する思考を生み出した。
その動機はまだ不明だけれど、絵画という手段で内的な想像の世界を、
創造力を働かせて、表現するという営為に大変な労力を注ぎ込んでいった。
わざわざ、普段の生活では使わない洞窟深部まで入り込んでいって、
貴重な動物油分を抽出しそれを移動可能な容器に入れた光源ランプを創造し、
高所作業での安定性を確保するために、ハシゴも創造して、
さらに絵画表現のためだけとしか思われない彩色顔料を鉱物資源から探索し、
それを加工して絵の具として利用している。
生きる基本生活とは無縁と思われる、こうした全プロセスを、
非常な努力・営為で創造し、活用して、想像力の産物である絵画を生み出した。
こういった抽象⇒想像力=創造力の全営為に深く打たれているのです。
すでに20,000年の昔にわたしたちのDNAはこういったことに命をかけていた。

わたしたちホモサピエンスは地球上の全大陸に拡散したのですが、
こういう動物種はきわめて珍しいのだそうです。
そのグレートジャーニーというエリア拡散にあたっては、わたしたち日本人にも直接繋がる
先祖たちが「航海」という、これまた不思議な営為を創造したとされる。
クロマニョンの人々が、絵画表現という創造を見せていた同時代に
海をわたっての未知なる世界への移動を想像し、
そのための方法を創造して航海という人類的知財を実現させた祖先たちがいた。
こういう想像力、未知なることへの強い興味というものに、
クラクラするようなフロンティアパワーを感じています。
まさに奇跡を生み出し続けるのは、人類の抽象⇒想像力=創造力だと。






【古民家のいごこち、あるがままの素材利用】




先日のラスコー展、その余韻はしばらくは知的興奮として、
ながくカラダに刻み込まれて沈殿していくのでしょう。
そういうプロセスもまた、「肉体化」のプロセスとして楽しんでいきたいと思います。
クロマニョンの人々のことをインスピレーションのレベルで受け止めることで、
人間の居住環境を考えるということに
大きな気付きが得られ、ひとつの判断基準ができると思うのです。
ラスコー展を見終わった後、展覧会の展示をダイジェストした
図録を買い求め、いまも繰り返し反芻しながら読み続けています。

そんな余韻のなかで、会場の東北歴史博物館に併設されている
「今野家住宅」を久しぶりに再訪しておりました。
この建物は石巻市北上町、多くの子どもたちが東日本大震災の時に
津浪被害で命を失った大川小学校の近くに建っていた。
母屋は1769年の創建ということなので、築210年ほどの古民家。
宮城県の有形文化財に指定され、この地に移築されたもの。
万年単位の考古のクロマニョンと比べたら、
その建てように示される息づかいはわれわれ現代人として理解しやすい。
ムラの「肝煎り」を務めていたということですから、
自治的行政の中心的存在であった家です。
仙台藩は、表高は62万石とされていますが、どう考えても過小認定。
江戸市中で消費された米は、ほぼ仙台潘からの移入に頼っていたとされる。
貞山堀などに見られる活発な荷の移動交通手段確保の様子など、
伊達藩というのは江戸の中央権力と深く結びついて
江戸期を通じてかなり安定的な農業経営を営んでいたと推定されます。
他地域では頻繁にこうした「肝煎り」や庄屋などの階層が
打ち壊しなどの被害に遭っていますが、
伊達藩領では、そう多くはなかったとされている。
そんな住宅ですが、建坪が72坪という大型建築。写真は土間の様子。
目に飛び込んでくるのは曲がりの柱を上手に組み合わせた壁造作。
ユーモラスなお面が装飾されていて、面白い。



調理のスペースの床には、水仕舞いも考えて竹が敷き込まれていて、
曲がりの柱といい、それぞれサイズにムラのある材をあるがままに生かして
自然に添って建築を考えている様子がうかがえて、まことになごむ。
構造から仕上げまで融通無碍に、材のあるがままを活かして使う姿勢。
どうもこういうことが、いごこちというものに大きく関係しているのではないか、
いつも古民家を見ていて、気付かされることです。









【家を建てたくなる人間心理】



写真は、昨年神戸の「里山住宅博」を見学していたときの光景です。
わたしがこの住宅のビルダーさんと話していたときに、
入ってきたご家族の小学校低学年くらいの娘さんが、
ごらんのようなパフォーマンスを見せてくれました。
「わー、ステキなお家」っていうような歓声が聞こえてくるようです。
「里山住宅博」というほどですから、
周辺は緑に恵まれた環境のなかにある。
阪神ゾーンの住宅地ではたぶん、望めないような光景がそこに広がっていて、
そのよろこびを率直に表現された娘さんのまっすぐさに、
思わず微笑まさせられた次第。

家を考えるようになるって言うのは、
やっぱり最大の起動力は、家族のシアワセを願ってのことでしょう。
現代生活で家は、家族のシアワセを担保する最大のよりどころ。
子どもたちがそこで安心して暮らしていけることが、
家を建てたいと思う心の核心に存在する。
わたしたち家づくりに関わっているすべての人間は、このことを
いつも顧みる必要があると思います。
考えられる困難を専門者として可能な限りに除去し、
安全を保証し、よろこびの最大化を常に念頭に置いておきたい。

ここのところ、人類史全体を基本に置いて考える思考に近づいてきた。
本を読んだり、クロマニョン人の絵画にふれたり想起することが多いのですが、
現生人類7万年のあいだ、変わらずにこういった子育てがあり、
親として未来を育てて、夢見続けてきたのでしょう。
家ができることをさらに深く考えたいと思わされたパフォーマンスでした。



【無落雪の日射遮蔽 軒の出&バルコニー】




きのう紹介した「最小限オフグリッド」の住宅続篇です。
櫻井百子さんは、北海道の女性建築家としてたいへん頑張っています。
たいへんやさしそうな印象とは裏腹に、表現方法はなかなかにダイナミック。
北海道の建築家として、まっとうな寒地住宅技術に取り組んでいる。
今回の住宅でも、素器としての環境的性能で、
だれもがいま、考えるべきテーマとしての課題に回答を探っている。
断熱をより強化していって、次のテーマになってくる日射コントロールに対して
長い軒の出や、2階バルコニーなどの手法で取り組んでいます。
軒の出については、基本木造構造の上に、ちょうど
壁への付加断熱と同様の考えで2×6材で面的に被覆させる考えだとか。
端部には写真のような構造骨組みが現れています。
積雪荷重と軒の長さとの見合いで、正直に骨組みが決まってくる。
一方で玄関から階段室の空間では全開放型の日射取得を行っている。
断熱が強化されていって、パッシブに日射熱を確保していって
一方で、その過剰なまでの日射熱のコントロールも果たすべきという、
きわめてシンプルな北方住宅の解が見えてくる気がします。
そしてきのう紹介したように、設備的な要件、
万が一の災害時での延命装置についても、
過剰ではなく、いなすような考え方で対応しようとしている。



2階のバルコニーの床の幅はやや長め。
確認していませんが、90cmは大きく超えて135cmくらいはある感じ。
これくらいの広さがあると、アウトドアリビングの感覚にも近づく。
正面には最近注目されてきている新川サクラ並木が眺望できる。
そういった眺望を楽しめる装置ではありますが、
主たる用途は夏も冬も問わないオーバーヒート防止の日射遮蔽でしょう。
北海道では通常の屋根形状では屋根端部の軒先に氷柱がつき、
それが「すがもれ」被害の拡大とともに巨大化していった経験から、
いっそ軒の出をやめるという、まことに防御的な考えだったのが無落雪工法。
牧歌的に隣家との距離感が確保されていた時代には、軒先から落雪しても
隣家に被害を及ぼすと言うことは想定しなくても良かったけれど、
札幌などの人口密集地ではそもそもの土地面積もどんどん狭小化していった。
その結果、落雪屋根から無落雪屋根が考案された経緯がある。
なので、軒の出を出すということへの地域としてのためらいもあった。
しかし最近は、このようにまっとうに無落雪屋根で軒を出す家も増えてきた。
そういう意味では一回転してもう一回、
日本的な住宅デザインの要素が復権してきている。
外壁仕上げについても、風致地区という周辺環境も踏まえて、
ほぼ全面的に木質外装仕上げとしている。
住宅地ですが、防火の基準もムリせずにクリアさせている。
この家の日射取得のカーテンウォール部分と、バルコニー・軒の出の
配置バランスを見ていて、モンドリアンの絵のようでもありますが、
こういった機能要件とデザイン仕上げの応答が
今後の北海道住宅の基本的な問題意識として共有されていく、
そんな思いを持った次第です。










【小さくはじめる「最小限オフグリッド」生活】




みなさん、オフグリッドってご存知ですか?
系統の電気とは関係なく、電気の自給自足をめざす試みですね。
電気を自分の宅内で発電するのには太陽光発電が考えられるので、
こっちの方は、比較的に一般化してきている。
ただし自然の太陽光に依存するエネルギー創出なので、
天候条件などでどうしても不安定な供給状況になる。
そうするとそのエネルギーを「蓄えておく」装置、蓄電池が必要になる。
同時に太陽光発電からの電力を家庭内で利用する転換装置も必要になる。
これらの設備をフルユニットを導入すれば、
系統の電力に依存することなく、いわば電気の独立自営が可能になる。
考え方はこのような単純なことですが、
大きな壁はそれら設備機器のためのコスト上昇と、性能問題。
解決されていくためには、現状では蓄電池の機能向上・流通問題がある。
現実にそういった志向性を持った動きは札幌でもありますが、
アメリカ製の蓄電池製品の輸入が遅れに遅れたりしている。
そもそもリチウムイオン電池の寿命問題もある。
蓄電のトータル回数で上限がまだまだ発展余地が大きいとされている。
・・・っていうことで、なかなか進展を見せないのですが、
きのう札幌市内で見学会が行われていた建築家・櫻井百子さん関与住宅で
「災害時電力自給」を実現させた、いわば「最小限オフグリッド」住宅を見学。

これは外壁側面に取り付けた0.2kwの太陽光発電で発電させた電気を
床下のコンバーター・蓄電池に貯め、家庭用に転換させて
災害時にもっとも不可欠な暖房装置、この家の場合にはペレットストーブへの
供給電力として利用させるというもの。
もちろん、通常時にも家庭用の電力として照明などには利用する。
200Wということなので、どんどん使える、あるいは家庭中の電力を賄うということは
パワー的にできない相談なのですが、
このように災害時の安全確保という考え方は、現実的で
受け入れやすいし、コストもごく安価に済みそうなのであります。
東日本大震災時にも、ほかの熱源による暖房機器はあっても、
起動には電気が不可欠であって、結局利用開始は電力の供給回復頼みだった。
少なくとも生命維持のためには、災害時に暖房用エネルギー確保が必要。
そういう意味で最小限オフグリッドという、こうした提案は有意義。
もちろん断熱がしっかりしていて、発生させる熱の保持が容易であることとの
合わせ技で実現することではありますが、
北海道での現在の住宅性能レベルであれば、容易に実現させられるでしょう。
ありそうでなかった、面白く有意義な住宅提案だと思いました。






【クロマニョン人にみる豊かで美しい人生】



なかなか東京への出張機会がなく、観に行けないかなと思っていた
クロマニョン人の遺した世界遺産「ラスコー壁画」展、
なんと、東京から移動して仙台の「東北歴史博物館」で行われている情報を得た。
それがちょうど東北フォーラムの年度総会開催時期と重なっていた。
ということで、楽しみにしていたのであります。
この展覧会については、期待感を拙ブログでも一度書きましたが、
その見学感想についても書きたいと思った次第です。

まず、クロマニョン人についての研究の最新成果ではかれらは
現生人類ホモサピエンスの仲間とされているようです。
「違う人類が見ていた芸術世界」というように前回書いたのですが、
その点は大きく認識、理解を改めさせられました。
現代のわれわれからすると、遠い先祖の一部にあたるとされている。
このラスコーもアルタミラも、かれらクロマニョン人が遺した人類の芸術遺産。
顔料は日本画と同様に鉱物などの粉末。
高所への描画についてはハシゴなども開発されていたに相違ないとされていた。
さらに洞窟は、その入り口近くが居住用に利用されただけで、
地中奥深くまでの壁画描画という行為は、
相当に目的的な営為だと言うことも展示から教えられました。
そして作業用のパレットや、描画手法でも繊細な方法がとられていた。
そういった道具の開発についても、種族的な才能を感じさせられる。
同時並行的に生きていたネアンデルタール人と比較して、
食料としての動物獲得についての方法も、
より合理的で知的な先端的技術を持ってあたっている様子が示されていた。
しかしそれにしても、
洞窟の奥深くまで、光源となる動物油分を利用したランプを携行して
多くの動物相を描画し続けていた、その起動力はなんだったのか?
美的センスに優れていたかれらは、ネックレスなどの装身具も
その遺体痕跡などから発見されたりしている。
非常に高度の狩猟技術、食文化を持ち、
こうした洞窟壁画のような芸術を理解し、愛好していたという、
まことに豊かな人生を謳歌していた様子に、はげしく揺さぶられます。
どうも相当に高いレベルで、かれらクロマニョン人は「人生を楽しんでいた」。

かれらは4万数千年から1万年前くらいまで生きていた。
アフリカ起源のホモサピエンスの一種族で、
ヨーロッパの西部方面に至ってこのラスコーなどの周辺を生存地域としていた。
一方、わたしたちユーラシアの東岸から日本列島方面に進出してきた種族は
「航海」というあらたな領域でのフロンティアになっていったとされた。
行って帰ってくるのに、船でしか行けない2点間移動記録が発見されてきている。
ちょうど、人類史という領域に知的興奮を感じているなかで、
動物としてかなりおかしな存在である現在のわれわれが持っているものが、
結局、多くのこうした先人たちのたゆまぬ営為に起源している。
ほかの動物、もっとも近縁である霊長類との明確な違いである
われわれがいま当然としている知的能力や当たり前の技術精神について
その動機と方法開発を現生人類は日々生み出し続けてきたのだという
ごく当然で科学的な理解に至ります。
クロマニョンの人々の観念のなかの美的世界に圧倒されていました。








【ハウスメーカー信仰&選民意識の「壁」】



きのうは仙台に移動して、東北フォーラムの年次総会に出席。
慶応大学の伊香賀先生の最新・健康住宅の知見を受講していました。
その講演の最後で若干触れられていましたが、
国交省の健康=断熱改修支援補助事業、あまりはかばかしくない状況とのこと。
このままでは、多くの予算が未消化のままに終わってしまう可能性があるとか。
このキャンペーン、ほとんどタッチしていませんでしたが、
どうもユーザーへの訴求方法がずれているように思われます。

で、その後、参加者のみなさんと「意見交換会」。
各自の発表会を経て、懇親会でも活発な意見交換。
で、ある地域ビルダーさんから仙台地区のユーザー動向を聞きました。
北海道では大手ハウスメーカーに住宅を依頼する割合は
一般的に約3割で、7割は地元工務店に依頼する。
高級住宅の分野でも同様で、地域の作り手がユーザー選択に叶うように
企業の個性をアピールするマーケットの状況がある。
一方で宮城県地域では、この大手ハウスメーカー比率が
ぐんと大きくなっているといわれています。
あるユーザーと打合せを重ねてあとは契約を、という段階になって
団塊〜中高年の奥さんから、急に手をついて頭を下げられながら言われる。
「お宅の会社はいい会社だと言うことはよくわかるのだけれど、
知人たちにまったく知られていない会社には頼めない」
「せっかく家を建てるのに、変な会社だと自慢もできないワ」
「最低限、テレビ宣伝でもしているような会社でないと・・・」
と、面と向かって断られるケースを話されていた。
どうも現実の住宅ではなく、会社の「格付け」のような選択眼で
住宅の依頼先を選ぶという、まことに残念な状況があるのだという。
「宅は◎◎ホームでございますの、ホホホ」というような
「ミエ」最優先の住宅会社選びが現実にまかり通っているのだそうです。
住宅会社名ヒエラルキーが存在し、「選民」意識までがそこに見られる。
若い年代にはこういった選択眼はほぼないのだそうで、
団塊〜中高年みたいな年代層にそういった傾向が強いとされていた。
市場競争者としての、敗北感の行き場の無さに深く同情の念を禁じ得ません。
こういった傾向って、東京以外の関東広域でも見られるようで、
東京に通勤で通っている親世代には深くハウスメーカー信仰が強いけれど、
そのジュニアたちには、それぞれの地域への地元感が育っていて
かれらは地域の作り手のなかの「個性派」ビルダーへの選別眼が育っている。
団塊〜中高年世代にだけ、ハウスメーカー選民意識があるようです。
よくいわれる「支店経済」が支配的な宮城県では、こういった市場構造がある。
北海道札幌も同様に支店経済型ではあるのだけれど、
少しはフロンティア的な自立型の精神構造があるものかも知れません。
こういうユーザー心理。なかなか手強いものがあると思いました・・・。








【Q1.0住宅デザイン革新 「住まいのユニクロ」へ】




かねてから当誌Replanでは新住協・鎌田紀彦先生に「Q1.0住宅デザイン論」という
連載記事の執筆を継続してもらっています。
ユーザー目線を基本とする住宅雑誌として、
「良きものはカタチとしてもその明瞭な表現が求められる」と考え、
わかりやすさ、万人が納得できる住宅デザインへの強い希求があると
先生に対して、ユーザーの潜在的要望を伝えてきていた。
住宅デザイン進化も「科学的に」探求できないのか、と考えていた次第。
鎌田紀彦先生は、システム工学が中心的研究テーマの科学者であり、
住宅性能の探求と並んで、そういうシステム化が専門領域。

そのような方向性を連載のベースにして目指すべきものが
徐々にある志向性として、カタチを見せるようになって来た。
それが住宅デザインの「プロトタイプ」論だと思います。
個別の住宅の条件・希望へのていねいな応答ともいえる自由設計的な
いわゆる「建築家」デザインの逸品生産デザインの住宅に対して、
より一般解とでもいえるプレタポルテ的な共有性の高い住デザインの探求。
鎌田先生の言葉を借りれば「住宅のユニクロ的デザイン」。
こういった住宅デザインの探求にあたっては、
いくつかの条件を想定しながら、一般解を探っていく志向になる。
先般、札幌で講演していただいた東大名誉教授の難波和彦氏の
「箱の家」シリーズの趣旨骨子とも通底するような住宅デザインの方向性。
こんな問題意識で鎌田先生と対話していたら、
一時期の東大工学部での内田祥哉先生と、池辺陽先生との論争が
起点になっているといった歴史にもお話しが及んで、
興味深い展開にもなっていました。
それぞれの弟子スジにあたる鎌田先生と難波氏の交点がみえて、
またその志向の類似性に目の覚めるような思いを持った次第です。
そういえば難波氏「箱の家」は住宅の「無印良品」と呼ばれてきたし、
いま、鎌田先生の提唱される「ユニクロ」もまた、
より広範なユーザーの需要の本質を掴み取って、
その最適解を示していくという方向性はまったく共通すると思います。

このような先生の提起を受けて
先生との「共同開発」の長い経験知を持つ北海道の住宅の作り手たちが、
きのうからゼミナール形式で、参集したのです。
さっそく現代生活の必須要件の絞り込みなど活発な意見交換が。
交通利便性の高いエリアでの変形・狭小敷地対応のニーズの高さや、
現代生活の必須要件としてのクルマ駐車スペース2台分確保、
個室の確保数と、そのトレードオフの関係の解明など、
モデル的プランの検討、煮つめが議論されていました。
今後、有志のビルダーと先生で月1回程度の「ゼミナール」を重ねて
成案を煮詰めていく行程が確認されていました。
この探求の動向、今後に大注目だと思います。











【琳派・酒井抱一「月梅図」 撮影許諾の展示】



わたしは、一般的ニッポン人の志向性として
琳派とか、茶の湯とかの文化には親近感を持っています。
今回の出張では東京で1日行動できたので、
要件をこなしながら、合間に山種美術館と東京国立博物館を探訪しました。
一方で琳派の「花の絵」と、片方では「茶の湯」文化の展示会が開かれていた。
本日は、琳派の絵の方であります。
展示会の案内は、同美術館の開催案内には要旨こうあります。

〜春夏秋冬の中でさまざまな表情をみせる自然の姿は、
古くから日本人の心を魅了してきました。とりわけ、四季折々に咲き誇る花は、
季節を象徴するモティーフとして愛好され、描き継がれています。
その表現には、単独の花、鳥や昆虫との組み合わせ、
一画面に描く構成など、個性豊かなバリエーションが生み出されました。
当館では春爛漫に合わせ花をテーマとした企画展を開催いたします。
日本美術に描かれた梅、桜、牡丹、薔薇、百合、紫陽花、朝顔、菊、桔梗、
水仙、椿などの代表的な花を通して、江戸時代から現代までの
華麗なる絵画の世界をご覧ください。
江戸時代、琳派の絵師たちは季節の草花や花木を多く題材としました。
花を風物や鳥と組み合わせて趣きある世界を作り上げた
酒井抱一《月梅図》、《菊小禽図》、
濃彩で四季の草花を鮮やかに配した鈴木其一《四季花鳥図》。
金地、豊かな色彩を用いた装飾的な画面、斬新なデザイン性を持つ
琳派の作品は、時代を経ても色あせることのない魅力を放っています。〜

という次第で、まことに人生の句読点として
たのしく豪華な時間をたのしむことができます。
で、なんと、この手の展示会としてはきわめて異例なことに、
写真の酒井抱一《月梅図》については写真撮影許諾が明示されていた(!)
この絵はどうもこの美術館の所有ではなく借り出されたものなのかもしれませんね。
で、その所有者の方の篤志で撮影の許可が得られたのかも。
こういった展示会というのはあるテーマの元に作品を蒐集する。
その際に自分たち所有のものだけでは展示構成がむずかしい。
たまたま、こういったケースも発生するのでしょう。
ありがたく、iPhoneカメラを向けさせていただきました。
ただ、作品保護のためにガラスケースに入っているのですが、
その表面に後ろ側からの光源の映り込みが避けられない。
・・・なんですが、もちろん贅沢は言えませんね。
琳派の絵師さんたちの中でも、武家の徳川氏家臣・酒井家出自の
酒井抱一さんは、西洋絵画でのルネ・マグリットのような位置ではないかと、
ずっと思い続けています。
わたしが仕事とした広告の領域で、表現の基本的姿勢において、
日本人としては琳派の美術は基本ではないかと思うのですが、
そのなかでも、もっとも近しいと感じさせられる
「ものの見方」「テーマ的切り取り方」「構図表現」を見せてくれます。
この画像、一部には修正も施してみているのですが、
そこそこ個人として画像処理を楽しめる画像解像度のデータです。
6月18日(日) まで東京恵比寿の山種美術館で開催中ですよ。






【善光寺は、なぜひとを惹き付けるのか?】




北海道に生きていると、いろいろ遠い地域について
それがなぜであるのか、よくわからないことが多いものです。
この信州長野で、どうして善光寺という存在が人を惹き付けてきたのか、
よく理解出来ない部分があるのであります。
そうであるのに、長野駅を下りればすぐに正面玄関が
善光寺を想起させるデコレーションに彩られているし、
実際に善光寺を訪れてみても、巨大なひとの蝟集ぶりはわかるけれど、
ではそのコアになるものはなんであるか、
各堂塔を巡ってもさっぱり実相は見えてこない。
ただただ、たくさんのひとが善光寺参りよろしく、キャーキャー言っている。
境内の中ですら「恋愛おみくじ」みたいなものまで販売していて、
宗教であることすら不用なのではないかと、その存在が思われる。
善光寺というもの自体が、東京ディズニーランドのような
アミューズメントを目指していたのかも知れないとも思えます。

ソウルフードである「おやき」については、これはもう脱帽でして
来る日も来る日も、いくらでも食べていたくなる(笑)のですが、
善光寺というのはよくわからない筆頭です。
今回は信州大学の先生たちと同道させていただいたので、
善光寺ってどうしてひとを集めているのでしょうか?と、質問しましたが、
明瞭な回答にはどうも巡り会えなかった(泣)。
ただ、同じ信州の諏訪大明神絵詞に古い北海道島の記録が残っているという
故事から考え、そしてこの信州の日本列島内での位置を考えてみて、
どうも、この信州というのは東西南北の交通の要衝ということではないかと、
そんな思いが強くなってきています。
古代以来、地方の宗教施設というのは中央の権力との関係よりも
自立的な存続を図ってきたと思います。
なにより僧侶は知識人であり、交易における通訳のような役割を担い、
商業にとって、相当に有力な存在でもあった。
そういえば、「坊主丸儲け」というような陰口もよく聞く(笑)。

まぁ、ほとんどはじめての訪問でしたので、
今後、いろいろに理解を深めていきたいものだと思わされた次第です。