大テーブルが置かれたワークスペース。県内外の大学から広くオープンデスクを受け入れている
大テーブルが置かれたワークスペース。県内外の大学から広くオープンデスクを受け入れている

手仕事のモノづくりに魅かれ
地元山形で建築家に

モノを作ることが好きだったことから、興味の赴くままに東北大学工学部に進学したという井上貴詞さん。とりわけ手仕事のモノづくりに魅かれ、「土木建築は人の暮らしにつながっている」と人間環境系の学科を専攻します。2年次に土木か建築か専門コースを選択する際、ふと母方の亡き祖父が大工だったことを思い出しました。「祖父の家は増改築を繰り返していて、遊びに行くたびに玄関が変わっていたり、階段の位置が変わっていたりしました。木くずの匂いや道具、木っ端などが子ども心に面白かった記憶が残っています。誰に何を言われることなく建築の道を選んだので、血は争えないと思いました」と笑います。

卒業後、同期生の多くが首都圏に活躍の場を求める中、井上さんが選んだのは東北でした。「人と違う道に進みたいという思いが昔からあって(笑)。将来的に東北で仕事をしたいと考えていたので、初めから東北で経験を積んだ方が、人のつながりを含めて得られるものが多いと思いました」。地域に根差した仕事に共感し、山形の本間利雄設計事務所へ就職。一級建築士資格取得後に設計監理を担当した「水の町屋 七日町御殿堰」はグッドデザイン賞、東北建築賞を受賞するなど高い評価を集めました。

建築の専門知識を生かした
提案にこそ、価値がある

「地方の建物は、その土地の文化や風習を最大限に理解した人がデザインするべき」という本間利雄氏の思想を胸に、井上さんは2014年、山形市にアトリエを構えました。家づくりで最も大切にしているのは、住まい手にとっての「心地よさ」。家は人生の時間の大半を過ごす場所なので、心地よく快適に過ごせる空間であることが大前提。その上で暮らしの夢を叶えたいと考えています。「要望を叶えるだけでなく、お施主さんが知らないことや、気がついていない部分を提案できるのは、建築の知識を持った建築家だからこそ。『こんな暮らし方ができるなんて、自分たちでは考えつかなかった』と喜んでもらうことが一番嬉しいですね。そこに設計デザインを依頼される価値があると思っています」。

設計デザインにおいては、温熱環境的な心地よさについても考慮する必要があります。特に山形の夏は暑くて冬は寒いという厳しい気候条件を踏まえて、井上さんは「夏は涼しく冬は暖かく暮らせるような家にしたい。断熱性能や気密性能を満足させるだけではなく、建築地の気候風土を深く理解し、通風や日射取得など設計にプラスαの価値を加えてその場所ならではの新しい暮らしを提案していきたいです」と話します。

デザイン。それは人と自然の
関係性をカタチにすること

「建築デザインとは、場所との関わりを考えること。人とのつながり方を模索すること、自然とのつきあい方を考えることだと思います。建築用語で『間合いをデザインする』といいますが、人と自然との関係性をうまくカタチにしていくことがデザインだと考えています」。自然、環境、見える景色、日当たり、風、緑、山―。山形、東北に暮らすなら、とりわけそれらを感じながら生活してほしい。住宅は隔絶された空間ではなく、周りの自然環境を楽しめる空間である。井上さんが手がける住宅には、自然を最大限に享受してほしいという想いが込められています。

独立後に初めて手がけた「森の家」が古民家のリノベーションだったこともあり、井上さんの元には古民家や蔵などのリノベーションの相談も数多く舞い込みます。新築でも「リノベーションですか?」とよく聞かれるというデザインは、建築材の一部に古材を使用するなど、古いものに価値を見出し、今に生かしているのが大きな特徴の一つです。「時間が経過したものを取り入れると、より深みのあるデザインになります。リノベーションでなくても、その土地の長い時間の流れの一部に関わっているという感覚を大切に、今この時代だからできるデザインを提案していきたいですね」と井上さんは力強く語ってくれました。

(文/金 奈美江)

県産スギの合板材で設えた本棚を間仕切りとして活用。家づくりのヒントにも
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使い勝手を考え、すっきりと整理された木の空間。「木造建築に思い入れがある」という井上さんの想いが伝わってくるよう
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施主との打ち合わせスペース。置かれている家具は、ほとんどが山形のつくり手のもの
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玄関ホールは、地元の左官職人の手による漆喰壁や、ケヤキの一枚板でつくられたカウンターが印象的
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〈井上貴詞建築設計事務所 スタジオ〉
■山形県山形市
■設計/井上貴詞建築設計事務所
■施工/加藤建築