この家が建つのは南北に長い土地の上。奥まで光が届くよう検討を重ね、リビングは切り替え天井を採用した

大工さんに憧れ建築家の道へ
広島で学び、地元弘前で独立

本州最北の城下町、青森県弘前市。蟻塚学さんはこの地で生まれ育ち、この地をホームタウンに活躍する建築家です。蟻塚さんが建築家を志したのは、小学生の時の自宅の改修工事がきっかけでした。もともとモノづくりが好きだったことに加えて、大工さんの寡黙で男らしい立ち居振る舞いと、格好良い仕事ぶりを目の当たりにして建築への憧れを抱いたといいます。

その後も建築家になるという夢は変わることなく、「広島カープのファンだったから」という理由で、広島大学工学部へ進学。卒業後は広島の建築設計事務所に勤務しながら、「いずれは故郷で建築家として独立したい」という想いを胸にスキルを磨きました。「地元に戻ろうと思ったのは、故郷を離れて外から眺めてみた時に、弘前って素晴らしい街だなと改めて実感できたから。程よい規模の中に趣や文化が凝縮されていて、密度の濃い街だな、と。一方で、人口は減少の一途をたどり、商店街も寂れてきているという話も耳にしていたので、建築でなら街づくりの役に立てるのではないかと考えたんです」。

こうして2008年、28歳の時に弘前に帰り、蟻塚学建築設計事務所を開設するに至りました。

住まい手の要望を満たしつつ、
寒冷地に適した空間づくりを

「住宅は生活のいれものである」ー。蟻塚さんの「家」に対する考え方が詰まった言葉です。自分の「作品」に住む人の暮らしを当てはめていく建築家も少なくない中、「私は住まい手の要望を満たした上で、自分が目指すデザインを追求していきたいタイプですね」と自身を分析します。「住まい手の生活や人生に入り込み、より良い家づくりをしたい」との思いから、ヒアリングには特に重点を置き、日々の生活パターンまで詳細に話を聞き出すようにしています。

冬の寒さが厳しく雪も多い青森では、住宅性能も重要です。しかし、青森県の平均所得は全国の中でも下位の方。「現実的にそこまで性能にコストをかけられないので、標準的な性能で、いかに暖かく快適な家にするかが肝要だと思っています」。

帰郷当初、広島で建築を学んだ蟻塚さんにとって、北国の気候風土に対応した家づくりはわからないことも多く、手探りでした。そこで自邸を実験住宅と位置づけ、気になる工法や素材を試験的に施工。良ければ設計に採用し、悪ければ改善の道を探る、という取り組みを続けてきました。蟻塚さんがよく採用するサンルームも、こうした試行錯誤を経てたどり着いた、寒さを遮るための工夫の一つです。

「透明感」のある美を追求し、
地元の文化創出に貢献したい

あなたにとって、デザインとは?その問いに、蟻塚さんは「『透明感』のある美しさ、でしょうか。『透明感』とはつまり、家の中から見える景色のことです」と答えてくれました。

基本的に北国では、熱損失の問題から大きな窓はタブーとされてきました。しかしそれが悔しかった蟻塚さんは、連窓やポツ窓、サンルームといった窓の工夫を積極的に取り入れ、抜け感や反射までをも考慮して、建築における「透明感」を実践しています。外構や借景にまで気を配り、季節や気候、時間帯に応じた多様な見え方を想定した上で、いかにして『透明感』のある美しい空間を演出するか。それが、蟻塚さんのデザイン的な命題といえるでしょう。

「例えば東京と青森とでは同じ住宅100戸でも、元々の母数が違うので、青森で建てる100戸にはより重みがある」と、地方で設計する意義を蟻塚さんはそう捉えています。「1つの建物が与えるインパクトも、地方の方が断然大きい。だからこそここで、自分が理想とする『北国ならではの透明感のある美しい家』を追求していきたいのです」。

ひとつ、またひとつと良い建物をつくっていけば、少しずつでも街の風景や文化が深まっていくはず。そんな信念を胸に「これからも人生をかけて建物を設計していきたいですね」と、蟻塚さんは力強く語ってくれました。

(文/鎌田 ゆう子)

蟻塚さんの設計する家に多用されるサンルーム。大きな開口部で太陽光を受け入れながら、緩衝空間として寒さを遮る役割を果たす
マホガニーの突き板で造作した、オリジナリティあふれるオープンキッチン
玄関から室内方向を望む。連続した窓から入り込む光が心地よさを膨らませる
焼スギ張りの外壁を、等間隔で反復させた外観が印象的
〈山形の家〉
■山形県山形市・Iさん宅/夫婦50代
■設計/蟻塚学建築設計事務所
■施工/有限会社中村建築