施主との打ち合わせは靴のまま入れる土間で。大屋根の下は大きなワンルーム空間

得意な絵を生かしたいと
建築士を志し一人で上京

「石巻市北上町の陸の孤島みたいな所で、漁業、農業、養蚕業を営む家の跡取りとして生まれましたが、自分は違う所で勝負したいと思っていました」と話す、佐々木文彦さん。現在、北上町に軸足を置き、仙台市青葉区と2拠点で活動しています。

小・中・高校時代は漫画に夢中になり、自ら描いて熱心に投稿。漫画家になりたくても食べていける職業ではないと悩む佐々木さんに、建築士という仕事があると教えてくれたのが担任の先生でした。

高校卒業後、建築家を目指し、親の反対を押し切って上京した佐々木さんは、地下鉄工事現場のアルバイトで学費を稼ぎ、夜学の早稲田大学専門学校建築科に入学。「挫折したら実家に帰って漁業を継ぐしか道はない、自分にとっては背水の陣」と、つらいことがあっても前を向きました。

そして建築を勉強するうちに大好きな絵を描くこととの共通点を見出し、どんどん興味が湧いてきたのです。学校卒業後は東京で設計事務所に就職し、お茶くみからスタート。なかでも、得意な絵の腕前を生かし、平面図や立面図、各部屋のスケッチパースをたくさん描いて、実務を習得しました。

「今、お客さんの目の前でパッと設計のイメージを絵に描いて説明できるのは、短時間で絵を描く訓練をたくさんしていたから。東京で勤めていた()マカンボ建築設計事務所の石川所長も、お客さんに絵を描いて提案していましたね」。

施主の夢を一緒に実現した
結果としてのデザイン

東京で数年修業した佐々木さんは、設計の仕事で親の面倒を見る約束で、宮城県にUターン。本人いわく「無鉄砲」にも、27歳でササキ設計室を独立開業。マンションの模型づくりなど頼まれた仕事は何でも引き受け、実務を通じて勉強しました。

当時から変わらないのは、県内産の木材や漆喰、和紙など自然素材にこだわった家づくり。施主と会話のキャッチボールをしながら要望を丁寧に引き出し、予算などの制限内で夢をカタチにし、施主の期待を超える家づくりに全力を傾けます。

「自分の満足が先にあるのはいいデザインではありません。間取りも、その結果立ち上がった外観も、木と木をつなぐ納まりの部分もデザイン。お客様の夢を実現した結果として、デザインがあると思います」。

東日本大震災で津波に流されてRC造の1階のみが残された元自宅を再建した、石巻市の北上事務所(本社)のテーマは「未完成の家」。要望と予算のバランスをとるために、施主に壁塗りなどに参加してもらい、足りない予算をクリアし、より愛着のある住まいを実現することもあります。建築、建物への愛着があるからこそでしょう。「建築家の仕事を理解してくれる人とめぐり会ったとき、金額を度外視してのめり込みますね」。静かな語り口に、並々ならぬ情熱が感じられます。

古材もデザイン次第で
全く違う建築に生まれ変わる

佐々木さんが多大な影響を受けた人物。それは、東北の古民家の材料を使ってヨーロッパの喫茶店のような洋風の洒落た店舗を設計していた、マカンボ建築設計事務所の石川所長です。「茅葺きの古民家も材料の使い方、設計次第で全く違う建築物に生まれ変わるのは、目からウロコで、そのときから古民家再生と木の魅力にとりつかれました」。

東京に出て初めて知った、古いものの価値。振り返れば、生まれ育った古民家のような家が建築の原点だったと実感したのです。あえて北上町に本社をおいたのも、海を眺めて仕事の疲れを癒やし、庭の小さな畑で汗を流し、心からリラックスできる大切な場所だから。

現在、日本民家再生協会の理事を務め、「壊さないで、という声が聞こえるような古民家」を一軒でも多く残したいと、積極的に古民家再生に取り組んでいます。宮城、岩手、福島の集落を歩いて古民家がいらない人と欲しい人をつなぐ活動は、もはや仕事というより趣味の域。

「好きじゃないとできないですね。自分の好きだった、絵を描くことが生かせる建築の仕事は天職。気力とやる気、体力がある限り、この仕事を続けていきたいと思います」。還暦を過ぎても少年のようにみずみずしい感性と情熱。ここから佐々木さんならではのデザインが生まれるのではないでしょうか。

(文/青葉 桜)

玄関から木をふんだんに使用、タタキは雄勝石。来客がわかるように壁に開口部を設置
ロフトに昇る階段下に、震災後に登米町から譲り受けた処分直前の箪笥を組み込んだ
大きな窓から緑を望む作業場。無垢材の梁を見せる

 

震災で残ったコンクリートスラブは生かし、その上に良質な素材を厳選して新築した

〈北上事務所(本社)〉
宮城県石巻市
設計/有限会社ササキ設計
■施工/株式会社興建ハウジング