念願の「パイミオ・サナトリウム」を訪問してきました。

公開日:2025.12.17 最終更新日時:2025.12.17

フィンランドに半年間滞在していたReplanスタッフがお届けする、北欧の暮らしや建築のこと。

フィンランド最古の街、トゥルクに滞在していたときのこと。天気があまり良くなかった日に「少し遠出をしてみよう」と思い立ち、片道1時間ちょっと、往復2時間半の小旅行に出かけました。

向かった先は、アルヴァ・アアルトとアイノ・アアルトが設計した「パイミオ・サナトリウム」。アアルト好きの僕がずっと訪れてみたかった建築のひとつです。

「パイミオ・サナトリウム」の建物の外観
「パイミオ・サナトリウム」の建物の外観

ツアー料金は20ユーロ。往復がバスしかなくてアクセスが少し不便ではあるものの、この訪問はアアルトの「想像から創造へと昇華させて、人に癒やしを与える設計思想」に直接的に触れられる素晴らしい機会になりました。

今回はそのときの感想をお伝えしながら、僕目線での「パイミオ・サナトリウム」をご紹介します。

サナトリウムとしての役割を終えたあとは病院として使われ、2015年から現在のようにツアーなども開催されるミュージアムとなっている
サナトリウムとしての役割を終えたあとは病院として使われ、2015年から現在のようにツアーなども開催されるミュージアムとなっている
エントランスの様子。ここからすでに美しさに包まれている
エントランスの様子。ここからすでに美しさに包まれている
1階にはサナトリウム建設の背景や特徴が展示されているので、予備知識ゼロでも十分に楽しめる
1階にはサナトリウム建設の背景や特徴が展示されているので、予備知識ゼロでも十分に楽しめる
今回はタイミングよく英語のガイドツアーに参加。翻訳アプリを使いつつ、たどたどしくも質問を重ねてより深い話を聞くことができた
今回はタイミングよく英語のガイドツアーに参加。翻訳アプリを使いつつ、たどたどしくも質問を重ねてより深い話を聞くことができた
職員が使用するこのスペースは、通常は見学不可。今回はたまたまランチタイム終わりの方が「ちょっとだけよ」と入れてくれた
職員が使用するこのスペースは、通常は見学不可。今回はたまたまランチタイム終わりの方が「ちょっとだけよ」と入れてくれた

パイミオ・サナトリウムで感じた3つのこと

実際に訪れてみて感じた、この建築の「核心」ともいえるポイントは主に3つあります。

1. 「機能性の極致」としての建築

「パイミオ・サナトリウム」は、1933年に完成した結核療養施設です。当時の最新医療と建築が融合したこの建物には、「治療の一部としての空間づくり」という哲学が隅々まで息づいています。

たとえばそれは、長袖の袖が引っかからないようにデザインされたトイレの手すり。あるいは、水が飛び跳ねにくいように深さが調整されたシンクや、室内の明かりや色味、窓からの風景など、そのすべてが使う人目線で設計され、特に「患者にとっての使いやすさ」が徹底されていました。

トイレの手すりは、患者の長袖が引っかからないように形状がデザインされている
トイレの手すりは、患者の長袖が引っかからないように形状がデザインされている
かの有名な水ハネしにくいシンク。実際に水を出して試すことができたが、確かにハネなかった
かの有名な水ハネしにくいシンク。実際に水を出して試すことができたが、確かにハネなかった
食堂には外窓と内窓の間に「植物を置く場所」が設けられている。断熱効果はもちろん、植物に付着する「ホコリ」が患者に届かないように対策されたもの
食堂には外窓と内窓の間に「植物を置く場所」が設けられている。断熱効果はもちろん、植物に付着する「ホコリ」が患者に届かないように対策されたもの
天井の照明も同様に、ホコリ対策として丸みを帯びた形状にデザイン。光が効率的かつやわらかく反射するような素材が使われている。手づくり感がある時計は患者がワークショップでつくったものだそう
天井の照明も同様に、ホコリ対策として丸みを帯びた形状にデザイン。光が効率的かつやわらかく反射するような素材が使われている。手づくり感がある時計は患者がワークショップでつくったものだそう
テラス用ベッドのプロトタイプ。寝転んだときの顔の角度や居心地など、使う人がどう感じるかが追求されている
テラス用ベッドのプロトタイプ。寝転んだときの顔の角度や居心地など、使う人がどう感じるかが追求されている

建物全体は、「患者の動線」と「医療スタッフの動線」が明確に分けられていて、その動線のデザインにもアアルトらしい合理性が表れています。

  • 患者は病院内でどのように過ごすのか
  • どういった服装でいるのか
  • どのような姿勢が都合がいいのか

など、さまざまな「どのように」を追求していった結果、療養している患者や働くスタッフにとって最も使いやすくなるようになっていることが印象的でした。

食堂の様子。つややかな質感の天井は清潔感を保ちやすく、外光を反射させて室内を明るく照らす役割も担う
食堂の様子。つややかな質感の天井は清潔感を保ちやすく、外光を反射させて室内を明るく照らす役割も担う

この建築のコンペが始まったのは1929年、世界恐慌の年です。経済的にはネガティブな要素が多かった時代の中で、建築家としてはまだ駆け出しだったアアルトがつかみ取ったチャンスでしたが、その状況でこれだけの機能的な設計がされていたことに驚きを隠せません。

2. 建築の役割に合わせた色彩デザイン

アアルト建築の特徴といえば、自然との調和を重んじたシンプルで機能的なデザイン。同時期に設計された自邸でも、なるべく自然にある色を用いて空間に違和感なくなじむようなカラーリングが意識されていたように見えます。

※アアルトの自邸を訪問した際の記事はこちらをご覧ください

2度目のアルヴァ・アアルト自邸探訪で知ったこと、感じたこと。

しかし、パイミオ・サナトリウムで印象的だったのは「鮮やかで意味のある色」でした。施設の中をぐるりと見渡すと、「パイミオイエロー」「パイミオブルー」「パイミオレッド」と呼ばれる鮮やかな色彩が効果的に使われていることがわかります。

現代まで愛されている名作「パイミオチェア」が置かれた階段は、鮮やかな「パイミオイエロー」
現代まで愛されている名作「パイミオチェア」が置かれた患者棟の階段は、鮮やかな「パイミオイエロー」
足腰に負担がなく昇降できるように階段1段が低めに設計されている。手すりのデザインももちろんオリジナル
足腰に負担がなく昇降できるように階段1段が低めに設計されている。手すりのデザインももちろんオリジナル
患者棟は各階でテーマカラーが異なる。この階は「パイミオレッド」
患者棟は各階でテーマカラーが異なる。この階は「パイミオレッド」
この階は通路の壁面が「パイミオブルー」
この階は通路の壁面が「パイミオブルー」
扉が色違いの階も
扉が色違いの階も

ぱっと見では自然の色ではないように感じますが、これらは森に囲まれた自然豊かなパイミオの環境だからこそ調和する色として取り入れられました。青=空、赤(オレンジ)=マツの木、黄=太陽や光の色と、それぞれをモチーフに色が表現されているそうです。

また気持ちがふさぎがちになる療養者たちにとって、周囲に見える色が与える心理的な影響は決して小さくないはずです。パイミオは市街地からかなり離れているため、長い期間療養していれば、世間と断絶しているように感じてもおかしくありません。

建物内はスペースごとに色分けされている。この色分けで医者や看護師が療養者の状態などを把握していたことも
建物内はスペースごとに色分けされている。この色分けで医者や看護師が療養者の状態などを把握していたことも

療養中の人々が世間との繋がりを実感できる環境をつくるには、やさしい自然の色だけではなく、人工的な色を用いて心地よい違和感を与えることも必要だったのだと想像します。その意味で、このビビッドな色彩もこの建築の大きな魅力だと感じました。

3. 「自然との共生」という思想

僕が最も心を動かされたのは、やはり「自然との繋がりを強く意識した設計思想」でした。この建物には、大きな窓や天窓、テラスなど、外の景色や光、風、温度を取り込む工夫がいたるところに施されています。

それはまさしく「人ファースト」の意識が高かったからこそ。「フィンランドの美しい自然が療養中の患者の心身にいい影響を与える」と、アアルト自身が信じていたからなのだと思います。

階段の窓は大きな木製サッシ。当時の規格にはなくドイツから輸入したそう。アアルト自邸のリビングの大窓もドイツから輸入していたので、その経験が生きているのではないかと想像
階段の窓は大きな木製サッシ。当時の規格にはなくドイツから輸入したそう。アアルト自邸のリビングの大窓もドイツから輸入していたので、その経験が生きているのではないかと想像
食堂のピアノが置かれた一角。その奥に三角形にデザインされた出窓がある。三角形にしたことで奥行きが感じられる
食堂のピアノが置かれた一角。その奥に三角形にデザインされた出窓がある。三角形にしたことで奥行きが感じられる

療養者の中には自由に外に出られない人も居ます。だからといって自然とつながることを諦めず、室内にいながら自然を直接的に感じられるよう窓を設けたり、自然光を効果的にとり入れられる仕組みを考えたり、緑を見えるところに置いてみたり…。ただそこにあるだけで人々にポジティブな影響を与える自然の効果を、より最大化させるためのアプローチを実践していたのでしょう。

当時まだ低木だった森の木々の代わりに小さな松の植木鉢を並べ、療養者がテラスのベッドからでも眺められるようにしていたというエピソードには、思わず胸が熱くなりました。建物全体が「快適さ」と「自然との対話」をベースに設計されていることがひしひしと伝わってきました。

ちなみにこちらが竣工当初の写真。今ほど森が生育していなかったが、それでも患者のために自然を取り入れようとした優しい想像力によってこうなったのだと思うともう…どこまで見えているのかと恐ろしさすら感じる
竣工当初のテラスの写真。森の木々がまだ小さかったため、マツの鉢植えを並べていた

これが現在の様子。鉢植えのマツも、周囲の森の木々も豊かに生長した。アアルトにはどこまで見えていたのだろう…
これが現在の様子。鉢植えのマツも、周囲の森の木々も豊かに生長した。アアルトにはどこまで見えていたのだろう…
大きな窓の外には美しい森が見える。病室の天井は人がリラックスできるグリーンに
大きな窓の外には美しい森が見える。病室の天井は人がリラックスできるグリーンに
当時は世界でも珍しかったという大きなガラス窓が入ったエレベーター
当時は世界でも珍しかったという大きなガラス窓が入ったエレベーター

マツの森に囲まれて緑豊かで、空気も綺麗なパイミオの地で療養することの意味を考えたときに、人間らしく生き物として元気になるために必要なのは「自然とつながること」だったのでしょう。「パイミオ・サナトリウム」が「五感から人を癒やす」建築であったことが素晴らしいと思いました。

時代を超える、建築の力

このサナトリウムが建てられたのは、世界恐慌後という非常に困難な時代でした。そんな中でも、ただ依頼を受けた建物を建てるのではなく、そこに希望や癒やしがある空間を生み出そうとしたアアルト夫妻の信念が、「パイミオ・サナトリウム」には色濃く残っていました。

結果としてアアルトの設計事務所はその後さまざまなコンペで仕事を勝ち取り、数多くの建築物を手がけることになります。どの建築にも「パイミオ・サナトリウム」に通じる思想が色濃く反映されているということを、今回の訪問で再確認しました。

食堂は見学客が利用できる
食堂は見学客が誰でも利用できる
ケーキやパンが売っていたり
ケーキやパンが売っていたり
ランチビュッフェも
ランチビュッフェも

アアルトの原点ともいうべき建築空間に直接触れることができ「満足以外に何も言葉がございません」という気持ち。雨の中、わざわざ時間をかけて訪れた価値は十分すぎるほどありました。むしろ雨の日の静けさと湿度が、この建物にはふさわしかったのかもしれません。

機能と意匠、そして自然との共生。アアルトが考える「人にとって本質的に必要なこと」に、改めて気づかされた1日となりました。機会があったらぜひ足を運んでほしいアアルト建築です。

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