三角屋根のブロック住宅〜北海道の郷愁

家を建てようとするとき、ブロック住宅をイメージすることはほとんどなくなってしまいましたが、ブロック住宅は北海道の人たちにとって「郷愁」なのです。とはいっても明治の開拓の頃からのことではなく、戦後のことです。アメリカから導入された技術で、北海道に豊富にある火山灰を使ったコンクリートブロックの生産が始まり、それを使った住宅の建設が始まったのが、昭和30年代はじめです。

多孔質の火山灰ブロックの住宅は、耐火性と断熱性に優れ、防寒住宅として推奨されました。住宅金融公庫(現住宅金融支援機構)は、当時ブロック住宅にしか融資しなかったほどです。道立ブロック建築研究所が設立され、その後寒地建築研究所、北方建築総合研究所と名前は変わりましたが、日本で他にはない自治体の建築研究所として続いています。

北海道の住宅といえば三角屋根の家。実はこれがブロック住宅だったのです。公社住宅としての面積の制限を、2階の三角屋根裏を未造作として面積に含めず、住宅の完成後、2階に2部屋をつくるという裏技で、実質的に広い2階建て住宅の供給を可能にしました。当時はゆったり暮らせる公社住宅として人気を集め、一般住宅でも盛んに建設されました。これが北海道の郷愁の源なのです。

昭和40年代に入って本格的な断熱材が使われるようになりました。断熱材はブロックより断熱性能がはるかに高いため、住宅金融公庫が断熱材を施工した木造住宅にも融資を開始し、これによりブロック住宅は次第に衰退を始めます。ブロック住宅にも断熱材が採用され始めましたが、室内側の断熱材とブロックの間に多量の結露が発生し問題を抱えていたのです。

新しい断熱技術「外断熱」でよみがえったブロック住宅

昭和50年代に入り、快適性と省エネ性の両立を目指した新しい寒地住宅の研究が始まり、北海道大学の荒谷登先生が、コンクリート系の建物の断熱は室内側ではなく外側に施工する「外断熱」を提唱されました。同時に基礎の外側で断熱をする基礎断熱も提案され、北海道の外断熱建築が始まりました。熱容量の大きなコンクリート系の躯体の外側に断熱することで、結露は全くなくなりました。

また、日中の太陽熱を蓄熱することで暖房エネルギーが減り、日中もオーバーヒートが防げるという多くのメリットを持った寒地住宅が提唱されたのです。荒谷先生は、自らも自邸で外断熱のブロックの躯体に外装を道産木材で覆い、同様に木製サッシの3重ガラス窓で、太陽熱を一杯に取り込む寒地住宅の原型を提示しました (写真1)。

1. 荒谷自邸(設計:荒谷登)
1. 荒谷自邸(設計:荒谷登)

さらに、弟子の鈴木憲三さんが、アメリカで行われていたブロック2重積みの間に断熱材を入れるという工法で、ブロック住宅を設計し(写真2)、こうした動きを私は建築雑誌「ディテール」に、新しい北海道の寒地住宅として紹介しました。以前からブロック住宅に取り組んでいた北海道の建築家と呼ばれる人たちも外断熱のブロック住宅を設計し始めました。

2. ブロック2重積みの家(設計:鈴木憲三)
2. ブロック2重積みの家(設計:鈴木憲三)