日常や妻とのやりとりから考えた「意地」と「プライド」と「信念」
毎週月曜日更新!札促社スタッフが持ち回りでつぶやく、日常のあれこれ。
みなさんこんにちは。営業部Tです。
最近、サッカーW杯や高校野球の北海道予選など、数多くの「魂の勝負」を見る機会がありました。
実況から聞こえてくるのは、「意地のぶつかり合いですね〜!」や、「譲れないプライドがあるんでしょうね〜!」といった言葉。
そこで、ふと考えました。
意地とプライドって、何が違うんだろう……?
今回は、そんな何気ない疑問についてまとめてみました。
まずは、言葉の使われ方から考えてみます。

「意地でも食らいつく」
「意地でも最後までやり通す」
こうした表現から考えると、意地とは、自分で決めたことや自分の意思を、簡単には曲げまいとする気持ちなのだと思います。
人から評価されるかどうかは関係なく、自分が諦めたくないから続ける。苦しい状況でも、自分の意思で踏ん張る。
自分の内側にある粘り強さ。
それが、意地なのではないでしょうか。
一方、プライドは、「自分がどうありたいか」という基準に関係しているように思います。
「この勝負には、中途半端な姿勢で臨みたくない」
「家族に対して、誠実でありたい」
「自分が発した言葉には、責任を持ちたい」
自分なりの基準や理想像を守ろうとする気持ち。こちらが、プライドなんだと思います。
プライドには、人からどう見られるかという外からの評価も関係します。ただ、誰にも見られていないところでも手を抜きたくない、自分が納得できる姿勢で取り組みたい、約束は守りたいと思うこともあります。
つまり、他人からどう評価されるかだけではないということ。
自分が自分をどう評価するのか。プライドには、そんな側面もあるのだと感じました。
意地があるから、苦しいときにも踏ん張れる。
プライドがあるから、自分なりの基準を簡単には下げずにいられる。
こうして言葉の意味を開いてみると、意地とプライドは、仕事や勝負だけでなく、生活のさまざまな場面で私たちを支えているのだな〜と思うわけです。

ただし、どちらも使い方を間違えると、自分や周囲を苦しめます。
本当は考え方や方法を変えた方がよいのに、「ここまでやったのだから」と意地だけで続けてしまう。弱いところを見せたくないというプライドから、誰かに助けを求められなくなる。
意地が目的になると、引き返せないし、プライドが自己防衛になると、人の意見を受け入れられない。そんな感じで力になるはずのものが、いつの間にか自分を縛るものに変わってしまいます。
こういう場面は、私も妻とのやりとりのなかで、ひじょーーーーによくあります。
少し揉めた後に考えるのは、「自分はいま、何を守ろうとしていたんだろう」ということ。
「さっきの発言は意地だったのかな。プライドだったのかな?」
そんな自問自答もしばしばです。
そこで必要になるのが、「信念」なのだと思います。
信念とは、自分が何を大切にし、なぜその選択をするのかという、根本にある考え。
誰のために、何のために、その行動を選ぶのか。
信念が進む方向を決め、プライドが自分の基準をつくり、意地が最後まで続ける力になるのだと思います。
私たちは日々、仕事でも、家庭でも、人間関係でも、さまざまな場面で踏ん張っています。
自分がいま続けているのは、意地なのか。
守ろうとしているのは、プライドなのか。
そして、その根底に信念はあるのか。
ときどき立ち止まって考えてみる。
そうすることで、自分が本当に大切にしたいものや、力を使うべき方向が、少し見えやすくなるのかもしれません。
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